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1本のジュースから始まったフェンシング人生 19歳飯村一輝、五輪メダリスト育てた父との二人三脚

世界選手権での飯村一輝(右)。小学生時代から磨いてきた相手との駆け引きで結果を残している【写真:日本フェンシング協会/Augusto Bizzi/FIE】
世界選手権での飯村一輝(右)。小学生時代から磨いてきた相手との駆け引きで結果を残している【写真:日本フェンシング協会/Augusto Bizzi/FIE】

小2で手にした初のトロフィーが「めちゃくちゃ嬉しくて」

 何度か誘われたものの、そのたびに断っていた飯村だったが、小学校に入った年の夏の終わりのこと。

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「『MATCH』という微炭酸のジュース、ご存知ですか? 『買ってあげるから』と言われて、それに釣られて剣を握ったのが初めてでした。最初は遊び程度で週に2回くらいやっていました」

 始めてみたものの、「怖い」「痛い」という、フェンシングに抱いていたイメージは消えなかった。

「やっぱり対人競技なので、相手が何を考えてるか分からないのがすごく怖いし、剣も怖かったですね。剣は曲がるんですけど、しなってバンって戻る時に腕とかに当たると跳ぶように痛いんですよね。『やっぱりこれ、いてえよ』。そう思いました」

 だが、やめることはなかった。

「小学校2年生の時、初めて四国の大会で優勝して、これぐらいのトロフィーをもらったんですよ。それがもう、めちゃくちゃ嬉しくて」

「これぐらいの」と手で表したのは、ささやかなサイズのトロフィー。それを手にして、「優勝した時の達成感からフェンシングに没頭するようになりました」。

 結果が出たこととともに、あるいはそれ以上にフェンシングへのめりこんだ要因があった。

「僕が一番いいなと思っているのは、相手との駆け引きの中で自分の作戦が決まった時の感覚ですね。瞬時に行われる駆け引きが楽しくて、痛みよりも勝っちゃいましたね。小学4年生の時に全国大会で優勝しましたが、準決勝で20、30センチくらい身長が高い相手との距離を詰めるために剣を叩いてみたり、足を生かしたりしていたのは覚えているので、その頃には駆け引きについて多少なりとも理解はあったのかなと思います」

 その駆け引きは、どう身につけたのだろうか。

「父とのマンツーマンのレッスンで、相手のシチュエーションに分けてこう来たらこう、逆にこう潰されたらこっちに行く、みたいな感じの練習をしていたので、そういう感覚がどんどん研ぎ澄まされていった結果、試合でできるようになったと思います」

 さらに小学生の頃から全国大会で勝てるようになった理由を挙げた。

「徹底的に基礎を教え込まれたのが1つの要因なのかなと考えています。フェンシングは『フレンチ』から始めて、手首が安定してきたら『ベルギアン』を持つことになります」

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松原 孝臣

1967年生まれ。早稲田大学を卒業後、出版社勤務を経てフリーライターに。その後スポーツ総合誌「Number」の編集に10年携わり、再びフリーとなってノンフィクションなど幅広い分野で執筆している。スポーツでは主に五輪競技を中心に追い、夏季は2004年アテネ大会以降、冬季は2002年ソルトレークシティ大会から現地で取材。著書に『高齢者は社会資源だ』(ハリウコミュニケーションズ)、『フライングガールズ―高梨沙羅と女子ジャンプの挑戦―』(文藝春秋)、『メダリストに学ぶ前人未到の結果を出す力』(クロスメディア・パブリッシング)などがある。

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