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恩師オシムに再会するのが「怖かった」 プロ20年目、37歳の水野晃樹が今もJ3で戦い続けるワケ

恩師の前で「不甲斐ない自分を見せられなかった」

 スパイクを脱ぐ日は必ず巡ってくるが、本人は今も「サッカー選手後」をイメージできないという。セカンドキャリアという言葉がピンとこない。首の皮一枚で無骨に生き抜いてきた男は、今しか生きられないのだ。

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「ナビスコ杯、J2、J1、天皇杯と優勝を経験したし、昇格や残留もやってきたんで、あとはJ3で優勝したいですね。ずっとサッカー選手の人生だから、その後は何も分かんない(笑)。指導者ライセンスはB級まで持っていますけど、引退後のことは何も決めていません。ただ、わがまま自由にサッカー選手をやらせてもらってきたんで、引退後は自分よりは家族へ矢印を向けようって考えています」

 インタビューの最後に、用意していた質問を投げた。

――オシムさんに再会できるとしたら、何を伝えたいですか?

 水野は、一番時間をかけて答えている。

「『お前は何を目指しているんだ?』って言われそうですね(笑)。そこまでして、サッカーを続けるのか、サッカーが好きなのか。オシムさんはベテランを切っていった印象なので、この年になってもJリーガーってどう思われるんですかね? 実は、オシムさんに再会できる機会はあったんです。でも、怖かったというか、“今の立場で会えないな”って思ってしまって。不甲斐ない自分を見せられなかった。今はなんで会いに行かなかったんだって、後悔しています。会いたい人には会える時に会うべきですね」

 20年間、シビアなプロサッカー選手の世界を生き抜いてきた男の純粋さを、オシムが笑うはずはない。

(小宮 良之 / Yoshiyuki Komiya)

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水野 晃樹

サッカー元日本代表 
1985年9月6日生まれ。静岡県清水市(現・静岡市)出身。清水商業高(現・清水桜が丘高)を卒業後、2004年にジェフユナイテッド市原(現・千葉)に加入。イビチャ・オシム監督の指導の下、2年目の05年に出場機会を増やすと、U-20日本代表にも選出されオランダでのワールドユース(現・U-20W杯)に出場した。07年にはJ1リーグで29試合9得点の活躍を見せ、日本代表にもデビュー。08年1月、セルティックへ初の海外移籍を果たすが怪我もあり不本意な結果に。10年6月に柏レイソルへ移籍して国内復帰を果たすと、8クラブを渡り歩き、今季からJ3のいわてグルージャ盛岡に所属している。

小宮 良之

1972年生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。トリノ五輪、ドイツW杯を現地取材後、2006年から日本に拠点を移す。アスリートと心を通わすインタビューに定評があり、『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など多くの著書がある。2018年に『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家としてもデビュー。少年少女の熱い生き方を描き、重松清氏の賞賛を受けた。2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を上梓。

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