セルティック移籍に「後悔はない」 怪我に泣いた2年半、水野晃樹が間近で見た中村俊輔の凄さ
「このチームで自分が認められた」と感じた瞬間
――海を渡った決断に後悔はないですか? ジェフに残っていたら、じっくりとしたキャリアを過ごせたかもしれない、という声もあります。
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「後悔はないですね」
水野はそう即答した。
「2005年のワールドユースに出場したんですが、そこで1勝もできなくて。その時から、日本で活躍できるようになったら世界へ、って思いが強くて。オランダのクインシー(・オウス=アベイエ)は日本の選手が3人がかりでもぶち抜いて、世界はこんなに広いんだってワクワクしました。オランダ戦で、海外挑戦を決意したのかもしれません。もともと高い壁を乗り越えていくのは好きだったし、日本に残るよりも海外挑戦のほうが面白いと思っていたので」
彼はそう説明した後、一拍置いてこう続けた。
「もしかすると、後悔したくない、だけかもしれませんね(苦笑)。でも、チャレンジしない限り、何も生まれないんです。それが自分の生き方で。成功したかもしれないなら、そうすべきで。後悔はないです。2年半、向こうで暮らした時間は財産だし、行かないと経験できないことばかりですよ。入院先のオシムさんに、『お前の活躍を聞いたら、病気も良くなるかもな』って言われていたので、それを果たせなかったのは歯がゆくて、心残りですけど」
今も忘れられない風景がある。ゴールを奪った後、弾けたように喜び、ゴール裏へ走った。GKを含めてチームメイトが大勢やって来て、「コウキ」と名前を連呼され、抱擁を交わし、祝福を受けた。ベンチではストラカン監督が喜びすぎて、ジャンプした拍子にハムストリングを怪我したほどだった。
「このチームで自分が認められた」
その瞬間の愉悦は、何ものにも代えがたかった。
2010年、水野は帰国し、ジェフのライバルである柏レイソルに入団している。彼らしく、逆風を覚悟した決断だった。そして運命は過酷だ。
「復帰戦、右膝前十字靭帯を痛めてしまったんです。スコットランドでプレーしていた感覚が残っていて、思い切り強く踏ん張ってしまった。そこで体を当てられて乗っかかられた時に……。そこまでしなくても滑らないし、日本のピッチだったら(滑らないから)アジリティを出せるはずだったんですが……」
最悪のスタートだったが、その逆風を水野は突っ切るのだ。
【第1回】名門・清水商の練習は「地獄」 高校まで無名の水野晃樹、挫折から這い上がったプロ人生の原点
(小宮 良之 / Yoshiyuki Komiya)