なぜ、水野晃樹はオシムに愛されたのか コーチを咎めた「分からずに叱るな」の言葉にあった答え
中心選手になった2007年、オシムジャパンでA代表デビュー
「試合前、『日本代表監督のオシムさんが視察に来ているぞ』って話が伝わって。みんなが、オシムさんに見られている、これは負けられないぞ、って空気になりました。俺は前日までスタメンじゃなかったんですが、『相手の左サイドバックの外国人は攻撃的だから、その裏を突ける晃樹で』って。試合の日に外された先輩の坂本(將貴)さんが泣いていたから、これで活躍しないと男じゃないって。坂本さんには新人の頃から、車で連れて行ってもらって、どこに行くのも一緒でしたから。まあ試合早々、怪我人が出て、坂本さんも出場し、そのパスを受けてゴールできたんですけど(笑)」
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一丸となったチームは強かった。選手たちはオシムに感謝したという。水野はその筆頭だ。
「オシムさんは、しばしば『エレガントな選手』っていう表現を自分に対してしてくれて」
水野は言う。
「練習中、コーチに怒ったことがあったんです。『お前は水野に指示を出すな。ミスに対して指示しているんだろうが、選択肢がまったくないミスと、選択肢がたくさんあって間違えたミスと、どっちだと思う? それが分からずに叱るな。あいつは創造性豊かで、アイデアがたくさんある。お前が指示を出すことでプレーを狭めることになる』って。それは嬉しかったし、自信になりましたね」
そして2007年、有力選手が去ったこともあって、水野はジェフの中心選手としてプレーしている。オシムがいなくなったショックを引きずって下位に低迷し、バランスを失った集団を、「先輩たちが守ってきたチームで、降格なんてありえない」と不退転の気持ちで支えた。選手同士、お互い喧嘩同然に思っているものを吐き出し合い、どうにか奮い立ったという。
水野はJ1リーグ戦29試合出場、9得点という記録を叩き出した。残留争いに巻き込まれたチームを窮地から救った。
そのパフォーマンスが高く評価される形で、オシムジャパンで代表デビューも飾っている。
「代表に関しては、ジェフでオシムさんの練習をやっていたので、“お手本”として呼ばれていたんだと思います。みんな、最初はオシムさんの練習についていけないんです。『この指導はどういう意味なの?』っていう他の選手からの疑問に、自分が答えるみたいな感じでした。ジェフでの活躍が代表に結びついたよりも、質問に答えるチューターみたいなものでしたね(笑)」