南野拓実は「綺麗な発音でドイツ語を話す」 欧州挑戦と語学力、モラス雅輝が選手に求める覚悟
Jリーグ創設から今年で30年、今や両手で数えきれないほど多くの選手が若くして欧州トップレベルのリーグに挑むなど、日本サッカーは着実に前進し続けてきた。一方で、指導者やクラブ経営などの分野に目を向けると、歴史ある欧州サッカー界の知見を持つ日本人はまだ限られているのが実情だ。1990年代に16歳でドイツに渡り、オーストリアで指導者となったモラス雅輝氏。その後Jリーグの浦和レッズとヴィッセル神戸でコーチを務め、現在はオーストリア2部ザンクト・ペルテンでテクニカルダイレクターを務めている。
モラス雅輝「欧州視点のサッカー育成論」第3回、高校卒業後に欧州へ渡る選手も増加
Jリーグ創設から今年で30年、今や両手で数えきれないほど多くの選手が若くして欧州トップレベルのリーグに挑むなど、日本サッカーは着実に前進し続けてきた。一方で、指導者やクラブ経営などの分野に目を向けると、歴史ある欧州サッカー界の知見を持つ日本人はまだ限られているのが実情だ。1990年代に16歳でドイツに渡り、オーストリアで指導者となったモラス雅輝氏。その後Jリーグの浦和レッズとヴィッセル神戸でコーチを務め、現在はオーストリア2部ザンクト・ペルテンでテクニカルダイレクターを務めている。
【注目】育成とその先の未来へ 野球少年・少女、保護者や指導者が知りたい現場の今を発信、野球育成解決サイト「First Pitch」はこちら
そんな欧州の事情に精通するモラス氏に、海外から見た日本サッカーの姿や育成論について話を聞くインタビュー連載。ここ数年、日本から欧州各国リーグに挑戦する選手の数がかつてないほどに増えている。欧州内でのステップアップ移籍も珍しくなくなったが、その半面、力を発揮できずにJリーグへ戻るケースも少なくない。多くの選手を見てきたモラス氏は、成功を左右する要素の1つに「語学力」があると指摘している。(取材・文=加部 究)
◇ ◇ ◇
モラス雅輝は、1995年にドイツの高校へ留学した。
「最初は1年間で日本に戻る予定だったが、あまりに居心地が良くて」滞在を続け、早くも18歳の時には指導者に転身し、現地で長いキャリアを積み上げてきた。
「当時ドイツやオーストリアへ日本人の留学と言えば音楽はあってもサッカーは珍しく、だいぶ奇異の目に晒されました。97年から指導を始め、98年からはオーストリア女子1部のインスブルッカーACでコーチをしたのですが、『あなた日本から来たの? この間ジャマイカに負けてたでしょ』と言われたのを覚えています。それくらい日本は、サッカーをやっていない国というイメージで見られていました」
ジャマイカにも敗れ、3戦全敗で終えた1998年フランス・ワールドカップ(W杯)の日本代表は全員が国内でプレーをしていた。だがそれから四半世紀で状況は一変し、チームの大半を欧州経験者で占める日本代表は、カタールW杯でドイツとスペインを下した。
「ドイツ語圏には、常に日本代表を注視している記者や関係者はほとんどいないので、専門誌でも分析記事などが載ることはありませんでした。だからみんな驚いていたし、日本サッカーのイメージ改善に繋がったことは確かだと思います。だから最近は欧州のクラブ関係者の『日本人選手を見てみようか』というハードルも下がりつつある。しかし反面、積極的に日本人選手を狙っているという状態ではありません」