パリ五輪と教師、柔道・老野祐平が追う2つの夢 大学での飛躍を支えた中学恩師の教え
いつか自分も「人を助けられるような先生になりたい」
初代主将としての責任感と不安――。その2つの感情が、帝京平成大の“1年生主将”を突き動かした。指示を待つのではなく、自らが主体的に考えて行動し、小野監督にも意見を求めに行く。
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「自主的にやらなくても、やらされることがあるのが高校(の部活)かなと思うんですけど、大学は自分でやらなかったら、もうそこまで。大学はより専門的にというか、自分がやらないとダメで、技術の向上だったり、勝つために自分をより磨き上げるという違いがあると思います」
老野自身、大学に入ってからウエイトトレーニングに力を入れてパワーアップ。そこには、健康医療スポーツ学部医療スポーツ学科で学んでいることも生かされている。
「自分は保健体育の教員免許を取得するために必要な科目を履修しているんですけど、トレーナーの資格も取れる授業も履修していたので、怪我の名称やトレーニングのやり方も学びました。こういうトレーニングもあるのか、このトレーニングにはこういう意味があるのかと気付かされて、じゃあ必要だなと自分で判断してやることがありました」
高校時代までしっかりと磨いてきた柔道の技術に筋力が伴い、それが結果にも表れる。2年生だった2021年12月の全日本ジュニア体重別選手権81キロ級で優勝すると、3年生で出場した昨年10月の全日本学生体重別選手権81キロ級でも優勝。視線の先に、来年のパリ五輪を見据える位置にまで来ている。
「オリンピックで優勝するというのは、やっぱり小さい頃からの夢だったので。そのためには4月の全日本選抜体重別選手権で優勝して、そこから選ばれた国際大会すべてで優勝したい。まずはパリに向けて全力でいきたいです」
同時に大学最後の1年を迎える老野には、もう一つの目標がある。これまで指導を受けてきた柔道部の恩師だけでなく、「中学2年生の時の担任の先生にすごく支えられて助けられた」ことで、当時から「いつか自分も人を助けられるような先生になりたい」という目標を持つようになっていた。そのため「柔道を引退したら、大学の先生か高校の先生になろうかなというのはあります。大学最後の1年も教育実習がありますし、だらだらすることなく、教員免許取得に向けてしっかりとやっていきたいです」と言葉に力を込める。