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「日本人指導者がダメってことはない」 コーチ10年目、元日本代表FWが挑む新たな戦い

安柄俊をストライカーとして覚醒させたアドバイス

 コーチ時代、必死に生きてきた自負はある。「嘘だけはつかない」。それだけは心に決めていたという。絶対的に監督を尊重しながらも、自分の意見だけは伝えるようにし、そこから100%監督のために献身した。

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 研鑽を積んだコーチの日々は財産だ。

「選手に対する苦労って、自分にとっては=楽しいことなんですよ。どんな状況でも、やってらんねぇってなったことないです(笑)」

 北嶋は笑顔でこう続けた。

「どうやったら選手に伝わるか。そこは大変なんだけど、それ自体を考えることが楽しいんです。上手く伝わって、ずっと言い続けてきたプレーが成功した時なんか、一緒に小さなガッツポーズですよね。あの喜びは、コーチならでは、だと思います」

 熊本のコーチ時代、安柄俊というFWが在籍していた。中央大学から川崎フロンターレに加入したが、怪我もあって燻り、ジェフユナイテッド千葉、ツエーゲン金沢とカテゴリーを下げても、目立った活躍を残せていなかった。それが2017年に熊本に加入後、7得点、10得点と攻撃の中心となる活躍を見せた。北朝鮮代表として日本戦に出場し、韓国のKリーグ挑戦のチャンスをつかむと、2020、21年と2年連続K2リーグ得点王に。昨年は水原三星で、残留プレーオフ3試合連続得点でK1残留に導いた。

「安柄俊には、クロスの受け方、入り方のところでさんざん言ったんですが、なかなか伝わらなくて」

 北嶋は当時をそう振り返る。

「でも、ある日、『マジつかみました!』って言ってくれて。その後、一気に乗っていった感じで。彼はザ・ストライカーだから勝気で、『押し付けるわけではないけど、この感覚を知ったらプレーが楽になるよ』って話をしました。才能はあったから、ちょっとしたエキスを自分のものにしてほしいって。自分が何かをしたとかではなくて、伝わった瞬間は嬉しいですよ」

 コーチとして真摯に選手と向き合い、監督のために身を切ってきた。しかし、監督として決断し、全体を指揮する欲求が募った。一つの転身のタイミングだ。

 そこで、インタビューの最後にこう訊いた。

――北嶋コーチにとって監督の理想像とは?

「これ、という監督やスタイルはないです」

 彼は明瞭な声で答えた。

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北嶋 秀朗

サッカー元日本代表 
1978年5月23日生まれ。千葉県習志野市出身。名門・市立船橋高(千葉)で1年時から頭角を現し、高校サッカー選手権を2度制覇。3年時の大会では6ゴールを奪い得点王に輝いた。卒業後は柏レイソルに加入し、プロ4年目の2000年シーズンにはJ1リーグ戦で30試合18ゴールをマーク。日本代表にも招集され、同年のアジアカップに出場した。柏には通算12年半在籍し、11年には悲願のJ1優勝。ロアッソ熊本に所属していた13年限りでスパイクを脱いだ。引退後は指導者の道へ進み、熊本、アルビレックス新潟、大宮アルディージャでコーチを歴任。23年からJFLクリアソン新宿のヘッドコーチに就任した。

小宮 良之

1972年生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。トリノ五輪、ドイツW杯を現地取材後、2006年から日本に拠点を移す。アスリートと心を通わすインタビューに定評があり、『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など多くの著書がある。2018年に『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家としてもデビュー。少年少女の熱い生き方を描き、重松清氏の賞賛を受けた。2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を上梓。

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