「なぜできない!」と絶対言わない 名将ベンゲルの元腹心、部活指導でも貫いた信念
GKにセーブさせるシュート練習
また1対1では、高いボールを防ぐために腕をできるだけ大きく広げ、低いボールは足で止めるように指導していたという。まさにW杯決勝の延長戦終盤に、ペイトンの愛弟子エミリアーノ・マルティネス(アルゼンチン)が1対1の決定的なピンチを足で阻んだ場面が、その通りだった。
【注目】育成とその先の未来へ 野球少年・少女、保護者や指導者が知りたい現場の今を発信、野球育成解決サイト「First Pitch」はこちら
さらにGKの心理を知悉(ちしつ)するペイトンは、常に選手に自信をつけさせることを最優先していたという。実は上船は自らキックマスターの動画を配信するほど、キックには卓越した技術を持っている。だがある時、ペイトンはそんな上船がGKのシュート練習でネットを揺すっているのを見て、小声で注意をした。
「おまえに問題が1つだけある。それはシュートを決めたい気持ちを持っていることだ」
ペイトンが描くシュート練習は、必ず主役がGKだった。
「ギリギリのコースに蹴り、GKにセーブさせる。それで選手は自信をつけていく。『なんで止められないんだ!』なんて絶対に言わない。逆に自分が蹴ったシュートがゴールネットを揺すってしまうと、ジェリーは『ごめん』と謝っていました。そしてセーブしたGKを『凄いぞ!』と称賛するんです」(上船)
ペイトンの指導は「目から鱗」の連続だった。しかし彼が最も重きを置いているのは、一貫して選手を主役に考え、ネガティブな言葉を一切出さないことだった。
「スタッフ内では、選手たちのミスについて話します。でも本人には伝えません。必ず次のトレーニングに問題点を改善できるメニューを組み込み、選手たちは自然に課題を克服し、傷つかず逆に自信を持って成長していく。毎日のトレーニングには、そんな意図が込められていました」
上船にとってペイトンと過ごした時間は、指導の原点を再確認する機会となった。(文中敬称略)
■ジェリー・ペイトン(Gerry Peyton)
1956年5月20日生まれ、元アイルランド代表GK。現役時代はフラム、ボーンマスなどイングランドのクラブを渡り歩き通算600試合以上に出場。アイルランド代表として88年のEUROと90年W杯のメンバーに名を連ねた。引退後は指導者の道へ進み、94年からはジュビロ磐田で、95年からはヴィッセル神戸でGKコーチを務める。2003年からは名将アーセン・ベンゲルの下、アーセナルで15年を過ごし数々の世界的なGKを育てた。18年からは清水エスパルスでコーチを、21年からは兵庫県の相生学院高校サッカー部監督などを歴任。23年シーズンはJ1横浜FCのセットプレーコーチ兼アナリストに就任した。
(加部 究 / Kiwamu Kabe)