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日本は「すべてが素晴らしかった」 日韓W杯で来日、8大会取材の英記者が語る思い出

新幹線は「恐ろしいほど時間に正確で快適だった」

 確かにベッカムはあの大会で一番人気の選手に躍り出て、世界的なサッカーアイドルとなった。日本では「ベッカム様」と呼ばれるブームも巻き起こった。

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 その一方で、初の極東でのW杯開催となったが、欧州には当時の日本に対し“サッカー発展途上国”というイメージもあった。そんな日本で行われた大会を、サッカー発祥国から訪れた気鋭の記者はどう捉えていたのだろうか。

「確かに発祥国だけど、現在のサッカーはイングランドだけのものじゃない、世界のものだということをまず言っておく。それに日本のサッカーファンの熱狂は素晴らしく、大会を大いに盛り上げた。僕はこの大会を含めて、イタリアからロシアまで8大会連続でワールドカップを取材しているけど、個人的には日本で行われたワールドカップが一番のお気に入りだ。

 もちろん大会自体、素晴らしかった。新幹線はとてつもなく速く、恐ろしいほど時間に正確で、素晴らしく快適だった。日本人はどこに行っても親切で、礼儀正しい人たちだった。そして素晴らしい文化と風土は、一生忘れられない思い出になった。

 日韓ワールドカップの最大のレガシーは、ワールドカップを開催したことで、そんな日本の素晴らしさを大勢の外国人が体験したことだろう。日本のワールドカップを体験したイギリス人が、その後、家族連れで日本を再訪した。家族連れということは、彼らの子供たちも日本を体験した。そしてこの国の素晴らしさが英国で、子供たちの世界でも話題になったんだ」

 そう言えば筆者も、日韓W杯後の英国で「日本は素晴らしかった」「また日本を訪れてみたい」「家族で行ってみたい」と話しかけられたことが幾度となくあった。日韓W杯で活躍したイングランド代表DFのリオ・ファーディナンドは、きっとヘンリーが証言した通り、ベッカムを隠れ蓑として日本を満喫したのだろう、その後、何度もプライベートで訪れており、大の日本通になっている。

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森 昌利

1962年生まれ、福岡県出身。84年からフリーランスのライターとして活動し93年に渡英。当地で英国人女性と結婚後、定住した。ロンドン市内の出版社勤務を経て、98年から再びフリーランスに。01年、FW西澤明訓のボルトン加入をきっかけに報知新聞の英国通信員となり、プレミアリーグの取材を本格的に開始。英国人の視点を意識しながら、“サッカーの母国”イングランドの現状や魅力を日本に伝えている。

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