日韓W杯で生まれたイタリア代表と仙台の友情 街クラブ「アズーリ」が今もつなぐ絆
イタリア代表が仙台の地に残したもの
仙台キャンプから1年後の2003年、仙台市長に随行する形で鈴木と佐藤は、ローマにあるイタリアサッカー連盟を訪問。この時、佐藤は当時のフランク・カラッロ会長に、2つの依頼をしている。仙台にジュニアユースのチームを作るにあたり、名称をイタリア代表の愛称にちなんで「アズーリ」としたいこと。そして連盟のエンブレムを模したデザインを、クラブのエンブレムとして使用したいこと──。
【注目】育成とその先の未来へ 野球少年・少女、保護者や指導者が知りたい現場の今を発信、野球育成解決サイト「First Pitch」はこちら
「あっさりOKをいただけましたね。なぜジュニアユースだったかというと、中学生年代の環境が県内ではしっかりしていなかったからです。それとイタリアとの関係を大切にしたかった。ワールドカップ以降、キエーボやラツィオがこっちに来てベガルタと試合をしましたけれど、僕らは子供たちをイタリアに連れていくことを考えていました。やっぱり現地のサッカーを体感して、得られるものは大きいですから」
ACアズーリのイタリア遠征は、東日本大震災があった2011年、そしてコロナ禍による直近の3年間を除いて、ずっと続けられてきた。鈴木は引率するたびに「2002年にイタリア代表を迎え入れた人たちがいたから、君たちはここに来ることができたんだよ」と、子供たちに教えているのだそうだ。
「イタリアに連れて行ったことで、彼ら自身が国際感覚を身につけ、世界との距離も一気に縮まったように感じます。もちろん、レベルの高いサッカーを経験することも大事ですが、それだけではない。スポーツ文化の成熟度であったり、サッカーが生活に根付いていることだったり、そういったことも現地に行くだけで実感できます。いつの日か『日本もこうなればいいな』って彼らが思ってくれると、ありがたいんですけどね」
イタリア代表のキャンプがきっかけで、仙台にジュニアユースのチームが誕生し、そこからJリーガーが輩出された。これはこれで、一つのレガシーである。
しかしながら、プロを輩出することだけが、イタリア遠征の目的ではない。アマチュアのまま競技人生を終えたとしても、彼らがイタリアでの強烈な経験を記憶にとどめ、故郷のスポーツ文化の発展に寄与してくれたなら、これほど素晴らしいレガシーはないだろう。
なお鈴木とともに、イタリア代表キャンプとACアズーリ設立に尽力した佐藤は、2007年に48歳の若さで死去。もともとサッカーの人間ではなかったが、W杯をきっかけにボールを蹴り始め、フットサルを楽しんだ直後に倒れて帰らぬ人となった。ACアズーリの代表は鈴木だが、佐藤には「永久代表」の称号が与えられている。(文中敬称略)
(宇都宮 徹壱 / Tetsuichi Utsunomiya)