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注目浴びた美女アスリートにも葛藤の過去 競技から学んだ「人生そのもの」

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青木さんが背中を押された言葉とは…

 そんな折、近所に住む井村シンクロクラブのある先輩の母親が青木さんのもとを訪れた。その先輩の高校時代の話をしてくれた後、先輩の母親はこう言った。

「今はしんどいかもしれない。でも続けたら絶対にいいことがあるから」

 シンクロと向き合い続け、答えは決まっていたのに踏み出せない自分がいた。背中をポーンと押してくれた気がした。

 シンクロの練習は1日10時間以上にも及ぶ。説明するまでもなく相当にハードだ。

「練習が好きじゃなかったし、それからも毎日のようにやめたいって思っていました」

 でも青木さんが2度と無断欠席することはなかった。なぜなら「シンクロがめっちゃ好きやったから」。ケガをしても屈することなく、チーム最年少の23歳で北京五輪出場を果たした。小さいころからの夢をかなえた。

 勅使川原さんはソルトレイクシティ五輪の前年に行なわれたプレ五輪で、前を滑る選手が転倒した際にスケート靴のブレードが顔に刺さり、大ケガを負った。以降、半年間ほど眼帯を付けなければならず、視覚のバランスが崩れたことでタイムは伸びなかった。

 顔のケガは両親のショックも大きく、「やめていいんだよ」と言われたという。「年下の選手にも抜かれたりして、私のなかで落ち込んだ時期ではありました」。

 3歳からスケートをはじめて、中学2年のときにショートトラック全日本選手権で総合優勝。96年には世界ジュニア選手権を制すなど、若いころから注目を集めてきた。

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