[THE ANSWER] スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト

運命を変えた「ナイス」の一声 サッカー元日本代表FWが「無敵になれた」小2の1試合

酒井宏樹の運命を変えたコンバート

 そのきっかけを頼りに、豊田はサッカーを続けた。恵まれた体を生かすべく、中学の途中にはFWにコンバートされている。得点を取ることが仕事になったが、守備を決してさぼらない。体験的に味方を助けることを知っていたからで、その戦いを極めていった。

【注目】育成とその先の未来へ 野球少年・少女、保護者や指導者が知りたい現場の今を発信、野球育成解決サイト「First Pitch」はこちら

 そしてJリーグでは、サガン鳥栖をJ1に昇格させる原動力となっている。エースとして君臨し、上位に引き上げ、チームのために自らを犠牲に捧げる「鳥栖らしさ」を確立したのだ。

 様々なきっかけを自分のものにできた者だけが、プロとして生き残っている。

「体はでかくて真面目で優しかった」

 柏レイソルの関係者が揃って言うのが、日本代表の右サイドバックとしてロシア・ワールドカップ(W杯)ではベストプレーヤーの1人だった酒井宏樹(現・浦和レッズ)だ。

 酒井は小学生の時はFWだったが、柏のアカデミーに入ってからサイドバックにコンバートされている。当時、工藤壮人(現・テゲバジャーロ宮崎)など多くの有力な選手が揃っていたこともあるだろうが、性格的にも実直だっただけに、ディフェンスが合っていたのかもしれない。高いレベルの選手と切磋琢磨し、プレーに向き合った。体格の良さに甘んじず、練習の虫だったという。

 当初、戦術的には未熟でミスも少なくなかったが、プレーを重ねることで改善させていった。特に屈強な相手とマッチアップした時、そのフィジカルをすべて生かすことができた。そして出し切った後、何かをつかんだ。

「トライ&エラーを繰り返せる選手だった」

 柏関係者はそう語っているが、性格的に失敗を糧にできたのだろう。ディフェンスの本質は、ミスにどう向き合うか。その修正を重ねられる忍耐力や生真面目さがキャリアのターニングポイントになるが、どれも彼にとってのきっかけになった。プロ入り4年目でドイツ、ハノーファー移籍を勝ち取れたのは、酒井が試合の中で自分の力をアップデートできる資質に恵まれていたからだ。

 きっかけはどこにでも転がっている。試合中、何気ないプレーかもしれない。それを肌で感じ、頭で考えられるか。漫然とプレーしている限り、積み上げることはできない。

1 2 3

小宮 良之

1972年生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。トリノ五輪、ドイツW杯を現地取材後、2006年から日本に拠点を移す。アスリートと心を通わすインタビューに定評があり、『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など多くの著書がある。2018年に『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家としてもデビュー。少年少女の熱い生き方を描き、重松清氏の賞賛を受けた。2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を上梓。

W-ANS ACADEMY
ポカリスエット ゼリー|ポカリスエット公式サイト|大塚製薬
DAZN
スマートコーチは、専門コーチとネットでつながり、動画の送りあいで上達を目指す新しい形のオンラインレッスンプラットフォーム
THE ANSWER的「国際女性ウィーク」
N-FADP
#青春のアザーカット
One Rugby関連記事へ
THE ANSWER 取材記者・WEBアシスタント募集