「だって、大輔やもん」 恩師も期待せずにはいられない、高橋大輔の“夢を見させる力”
「チャレンジさせたい」と思う何かを持っていた
――昔から自己評価は低かったのですか?
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「世界ジュニアで優勝した後、シニアに挑戦するようになったんですが、自信がなくて最初は上手くいきませんでした。テレビで見て、“凄い”と思っている人たちとの試合で、(リスペクトしすぎて)太刀打ちできないってなって。『あなたは凄いものを持っているんだから』と励ましても、自己評価が低かったですね。ちょっと勘違いしてくれたらいいし、勘違いしそうなもんじゃないですか? でも、彼はまったくそれがないんです」
――一方で、スケートそのものに対する取り組みは非常に挑戦的でした。
「そうですね。バンクーバー(五輪)の時も、『4回転を外していたらメダルの色が変わったでしょ?』って言われることがあるんですが、私たちは思いもしませんでした。(3回転か4回転か)協議するも何も、“やるもんだ”ってみんな思っていました。チームとしてやるんだって当然のように。(膝の怪我をする前まで)跳んできたジャンプで、復帰してから(日数が)短かったじゃないですか? もしかしたら、今日は跳べるかもしれないって過ごしてきて、“オリンピックの日がそれに当たる”とバカみたいですが、それに懸けたくなってしまったんです。大輔だったら、本番でパチンと行くかもしれない、チャレンジさせたいって。そう思わせる何かを彼は持っているんです」
――フリーの冒頭、4回転トウループは惜しくも失敗しましたが、その姿勢は世界で高く評価され、銅メダルも獲得しました。
「時代背景を説明すると、“4回転を3回転にしたほうが賢い”っていう考え方だったんです。私もそれはよく分かっていましたが、大輔がやりたいって思っていたし、そこを抑えて無難にやるより、チャレンジさせたいなって。他のコーチだったら、出場メンバーを見て、やめさせていたかもしれません」
――長光先生だったからこそ、高橋選手の物語ができた気もします。
「私は無茶ぶりをしてきただけで(笑)。夢を見させてもらったと思っていますよ。コーチが自分でなかったら、違ったこともあったのかなと思います。ドルトムントの大会(2004年世界選手権)で、タチアナ(・タラソワ)も(コーチに)ついて、大輔はものすごく調子良かったんですが。朝の練習後、私が何も考えず4回転を跳ばせる気でいたら、『ここはやめさせたら?』って彼女が言うんです。“そんな感覚なの? 恐れずにやればいいじゃん!”と私は思っていて(笑)。それで成功した時、彼女もすごく喜んでいましたね」