酪農一家に生まれた“スケートの申し子” 森重航、大人を困らせるほど氷を愛した幼少期
きっかけを掴んだら「トントン拍子に上達した」
レース中の転倒が多く、小・中学生時代はなかなか成績に結びつかなかった新濱に対し、小村さんが見た森重は「順当にエリートコースを歩む選手」だったという。
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「具体的にああしろ、こうしろと指導をして、本人が悩んだり努力したりというよりは、1つのきっかけを掴んで階段を駆け上がっていったイメージが強いですね。特に最後の中学3年生の時には中学記録も作って、500メートルと1000メートルで二冠を達成しました」
その活躍は、加藤条治らを輩出した名門・山形中央高の椿央監督(当時)の目に留まり進学。トップレベルのトレーニングを重ねて、滑りの技術を磨いてきた。
小村さんは今シーズンに入り絶好調の森重の滑りについて、「彼はラスト200メートルの追い上げがものすごく速い選手なので、それを十分に生かしたレースをしている」という印象と同時に、「今季ナショナルチームに入ったことが大きいのでは」と続ける。
「小学生の時、なかなかカーブワークが上手くできなかったなかで、一度きっかけを掴んだらトントン拍子に上達したのと同様に、ナショナルチームに入ってトップレベルの選手とトレーニングを積み、自分の中で何かを掴んだことで、短期間で急成長している気がします」
恩師も驚く飛躍を見せている森重は、初出場となった北京五輪でも堂々とした滑りを見せ、500メートルで銅メダルを獲得。保育園時代から周囲も困惑するほど滑ることに没頭した“スケートの申し子”は、エリートコースを歩みながら世界トップクラスへと一気に駆け上がった。
(THE ANSWER編集部・谷沢 直也 / Naoya Tanizawa)