「あの4トウの映像は観られない」 20年経っても消えない“五輪4位”本田武史の悔恨
SP2位となり生まれた「ちょっとした隙」
迎えたソルトレークシティ五輪では、不思議な心持ちにあった。
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「リンクの外ではソワソワするけれど、リンクの中では平常心。靴を履いてリンクに立つと、『できる、失敗するわけはない』という感じで」
演技の記憶がないというほど集中の高まったショートプログラムで、本田は2位につける。
「その翌日の公式練習、それまでほとんどいなかったのに記者やカメラマンが一気に増えましたね」
そこは気にせずにマイペースを心がけた。ただ、「追われる恐怖はありました」。本田の下の順位にはエフゲニー・プルシェンコ(ロシア)、ティモシー・ゲーブル(米国)ら錚々たる顔ぶれがいた。
そして、本田は語る。
「(ショートプログラムで)2位になって、メダルを獲りたいとなって、ちょっとした隙ができてしまったかなと思います」
その言葉が指し示すのは、フリーで4回転トウループの着氷がステップアウトになった場面だ。総合成績は4位。日本男子フィギュアの歴史上、十分に価値ある成績だったが、本田の受け止め方は異なる。
「あれから20年経ちますが、あの4トウの映像だけは観ることができません。あの1個でメダルを逃した、と思うと……」
消えることのない悔いを思わせた。
一方で、2度目のオリンピックが残した別の感情もあった。
「前のオリンピックは15位、そこから4年でメダルを獲れるか、というところまで来た。(アレクセイ・)ヤグディンやプルシェンコもいる大会で、オリンピックのマークの上に立った瞬間、世界の何億人の人が観ているんだ、という感覚を覚えました。しかも限られた人しか立つことができない場所です。オリンピックが楽しかったですね」