東京生まれ“湯沢育ち”の17歳川村あんり 「1人だけの卒業式」に恩師が見た仲間との絆
スキーの話をしている時は「目の色が変わっていた」
当然ながら、運動神経は良く、体操の授業などでは圧巻の身のこなしを見せていた。またスキーの活動の傍ら、1年生の頃はテニス部に在籍し、部活動にも励んでいたという。
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小片さんが印象に残っているのは、やはりスキーに対する情熱だ。
「普段は本当に元気で明るい普通の中学生なんですけど、スキーの話をしている時は目の色が変わって、こんなに熱くなれるものがあるんだなと感じていました。当時からオリンピックへの想いも語っていましたよ。小さい頃から一緒に練習してきた原大智選手の影響もあったと思います。前回の平昌大会で原選手が銅メダルを取った時、次は私がオリンピックに出たいと話していたことを覚えています」
中学3年生でW杯2位となった時は、学校中が大いに沸いた。クラスメートが動画でメッセージを送り、それが遠征中の川村の励みになったという。
学校のイベントにもなかなか参加できなかった川村は、卒業式もW杯の最中だったため出席できなかった。後日、学校の体育館で1人だけの卒業式を開催した際にも、クラスメートがメッセージ動画を集めてくれた。
「本来はその場にみんなも来たかったはずですが、ちょうど新型コロナの感染拡大が懸念されていた時期だったので断念しました。ただ、動画を見ているあんりさんは、とても嬉しそうでしたね。一緒に来ていたお母さんは号泣していましたけど(笑)。過ごした時間は決して長くはなかったですけど、本当にみんなから愛されていたと思います。頑張ってきたあんりさんを、最後にああいう形で祝福ができた。あんりさんの人柄だなと思います」
多くの友だちに愛された川村は、17歳にして女子モーグルで世界のトップを争う選手となり、夢だった北京五輪の舞台に立った。そして「目標としていた舞台で滑れることを思う存分楽しんでほしい」とエールを送っていた小片さんの言葉どおり、予選から時折笑顔も見せながら決勝まで全力で滑り切った。
5位に終わった試合後、涙を流しながらインタビューに応じた川村。その姿には、17歳が背負ってきた大きすぎる重圧が感じられた。同時に「諦めない姿を皆さんに見せていきたい。私も小さい頃から頑張ってきましたし、頑張れば夢は叶うと伝えたいです」と気丈に語った言葉には、川村の愛される人柄とモーグルへの飽くなき情熱が溢れていた。
(原山 裕平 / Yuhei Harayama)