羽根田卓也が16日後に語った涙の理由 東京五輪延期決定、あの春から490日間のすべて
「109秒30」の戦いの後で流した涙の理由「悔し涙とかではない」
“鍛えられた”心の強さがあったから「人生をかける」と公言した五輪が延期となっても「490日間」を前向きに生きた。
【注目】育成とその先の未来へ 野球少年・少女、保護者や指導者が知りたい現場の今を発信、野球育成解決サイト「First Pitch」はこちら
「人生をかけてきたからこそ、1年延期がなんだ、だからどうしたって。2020年7月にあるはずのものがなくなり、俺の人生どうなっちゃうんだ……そんなのじゃない。1年先にもっと良いパフォーマンスを自分で作り上げていこう。それくらい東京五輪に人生をかけてきただろう、と。だから、その490日間も全然特別じゃない。2019年から2020年までの1年半と変わりない。仮に2年、3年の延期だとしても、気持ちは変わりませんでした」
迎えた2021年7月26日。東京・葛西臨海公園のカヌー・スラロームセンター。
10位で準決勝をパスした決勝、決して望んだ結果ではなかった。序盤から積極的に攻めたが、ミスが出た。ゲートに2度接触。しかし、しぶきを上げる向こうに見えた羽根田の目は、最後まで闘志を失うことなく「109秒30」にぶつけた。
コロナ禍により、海外勢に比べて練習環境が制限された。開催国のアドバンテージとされ、1年以上トレーニングを積んできたコースが大会直前に変更された。しかし、競技後のインタビューでは何ら言い訳めいたコメントはなかった。
「この日にかけて人生を過ごしてきた。悔しいとか、うれしいとか、一つの感情ではなく、自分の挑戦がこれで終わったんだな」と言い、泣いた。
あの涙の意味について、改めて聞いた。「必ずしも悔し涙とか、つらい重圧から解放されたとかではないんです」と羽根田。「今まで五輪にかけてきた毎日や、五輪に一緒に挑戦してくれた人たちの顔がインタビュー中に思い出されるので。それで、流れた涙でした」と語る。
「五輪は選手にとって凄くエネルギーを使うもの。挑戦することは素晴らしいことですが、いろんなことを我慢し、律し、制限し、時には競技だけではなく、資金集めでスポンサーさんを回る。僕の場合は必ずしも練習だけをしていればいい毎日ではなかった。そういうものをひっくるめて、やっと終わった。結果がどうであれ、自分が費やしてきた時間がひと区切りした時の自然な感情で、涙が出るというは自然なのかなと感じました」
リオ五輪から東京五輪まで日々全力で駆けた1812日。その過程に、わずかな後悔もない。
「逆に、他に取り組み方ってあったかなと思うんです。毎日毎日、一生懸命に過ごしてベストパフォーマンスを求め続け、大会の日に自分なりに戦略を立てていくこと以外、僕には目標への向かい方を知らないので。延期になろうが、地球がひっくり返ろうが、自分は変わらなかったです」
自身の哲学と流儀で出し尽くした東京五輪。しかし、開催を巡って世論は揺れた。その裏に、一人のアスリートとして抱えた想いがあった――。
(4日掲載の後編に続く)
■羽根田卓也 / Haneda Takuya
1987年7月17日生まれ。愛知・豊田市出身。ミキハウス所属。元カヌー選手だった父の影響で9歳から競技を始める。杜若高(愛知)3年で日本選手権優勝。卒業後にカヌーの強豪スロバキアに単身渡り、スロバキア国立コメニウス大卒業、コメニウス大学院修了。21歳で出場した2008年北京五輪は予選14位、2012年ロンドン五輪は7位入賞、2016年リオ五輪で日本人初の銅メダル獲得。以降、「ハネタク」の愛称で広く知られる存在に。東京五輪は10位。175センチ、70キロ。
(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)