米国発祥のスケボーで日本大躍進のワケ 「五輪なんて」と言われた競技が5年で環境激変
選手を取り巻く環境が変化、一流企業のスポンサードを受ける選手も
認知度の高まりは現場にも好影響を及ぼした。統括組織であるワールドスケートジャパンや個人へのスポンサーが増え、選手の環境が改善した。
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「未成年の選手は親の支援があってやっている子が多いんですけど、そこから(大人になると)自分で仕事しながらスケートボードして、週末は大会に出て、練習して、という感じの子がほぼほぼでした。それが五輪が決まる前くらいから、だんだん応援していただけるスポンサーが増えた。
練習に集中できるような環境が整ってきた選手が増えてきた。スケートボードだけで食べていけるような状況というのが今までなかったので、うれしかったですね。選手によっては一流の企業のスポンサードを受けている選手はたくさんいます」
西川監督のキャリアは約40年。10代のイメージが強いスポーツで、就職や結婚・出産などにより、スケートボードを続けることが困難だった時代があった。企業からの支援により、一部のトップ選手は経済面を心配することなく、他競技のように現役を続けられる基盤が確立された。
練習に集中できる時間が増えれば、競技力は向上する。業界全体が底上げされ、五輪のメダルラッシュもあって、さらなる競技人口の増加は必至だ。
「小さい子どもたちがスケートボードをやるきっかけが増えたというか、実際にさまざまなところのスクールの人数が急に増えているのが現状。選手たちがみんなメダルを取って、それにより効果がドンと上がってくるんじゃないかなと考えています。
競技は、スケートボードという大きい輪の中の1つの円。五輪によってそのパイが大きくなったとボクらは考えています。それで全体的なスケートボードという大きな輪がもっと大きくなってくれればいい」
国を代表して五輪に参加することで、選手個々の意識にも変化が見られた。「五輪に出たい」「金メダルを取りたい」と漠然とした目標に過ぎなかったものが、指導やJOCの講習を通じ、日の丸を背負って闘うという自覚が芽生えた。「常日頃、学校の校長先生みたいな感じでアドバイスしていますね」と西川監督は笑った。
母国開催の歴史的な大会で、初代王者を複数輩出。日本にとって、新たな“お家芸”となる期待も高まっている。
「スケートボード自体、反復練習が非常に大事な要素を占めるので、日本人の勤勉さというのがプラスになっている。スケートボードはアメリカ発祥なので、次のパリはもちろん、その次のロサンゼルスの五輪も続くんじゃないかと思っている。お家芸と言えるかどうかは分からないですけど、そういった形で選手が活躍してくれるんじゃないかなと思います」と力強く結んだ。
(THE ANSWER編集部)