孤高の34歳・羽根田卓也の涙 リオ五輪前、履歴書が送られてきた伊藤華英が贈る言葉
「THE ANSWER」は東京五輪の大会期間中と題し、実施される競技の新たな知識・視点のほか、平和・人権・多様性など五輪を通して得られる多様な“見方”を随時発信する。2008年北京、2012年ロンドンと五輪2大会に出場した競泳の伊藤華英さんは大会期間中、「オリンピアンのミカタ」として様々なメッセージを届ける。
「THE ANSWER的 オリンピックのミカタ」#69
「THE ANSWER」は東京五輪の大会期間中と題し、実施される競技の新たな知識・視点のほか、平和・人権・多様性など五輪を通して得られる多様な“見方”を随時発信する。2008年北京、2012年ロンドンと五輪2大会に出場した競泳の伊藤華英さんは大会期間中、「オリンピアンのミカタ」として様々なメッセージを届ける。
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今回は「カヌー・羽根田卓也の涙」。カヌーのスラローム男子カナディアンシングル決勝でリオ五輪銅メダリストの羽根田は、集大成と位置付けた今大会で10位に終わり、涙した。高校卒業後にスロバキアに単身で渡り、スラロームコースがなかった日本で競技を一人で背負ってきた34歳。リオ五輪前から交流がある伊藤さんが想いを明かした。(構成=THE ANSWER編集部・神原 英彰)
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本当に悔しかったんだろう。10位に終わった試合後、羽根田選手の涙を見て思いました。
本来なら大勢の観衆に見守られ、歓声とともにゴールしたかったと思います。無観客は初出場の選手より、むしろ五輪を経験している選手の方が難しかったのではないか。街中がお祭りになる盛り上がりを知っている人こそ、ギャップが大きかったはずです。
しかし、この5年間、努力してきたことは誰にも否定されるものではありません。自信を持って大会を終えてほしいと思います。
羽根田選手は自分で道を切り開く人。日本にスラロームコースがないから、どこに行くべきなのかを自分で考え、高校卒業後に単身でスロバキアに渡り、現地の大学院で勉強もして、スポンサー探しまで自分でやってきました。
もともと、交流のきっかけは2016年リオデジャネイロ五輪を控えた頃。私の大学院時代の知人であるカヌー関係者を通じて、メールをもらいました。これからの自分のマネジメントをどうしていったらいいか、と。履歴書まで送られてきました、後のメダリストなのに。
一番はこれからも長く競技を続けたかったということ。そのための資金や支援が必要だった。スポンサーを求めて何十通も企業さんに電話や手紙でコンタクトを取ったとも聞きます。そういう苦労をする選手は夏季のJOC強化指定の種目であれば、あまり聞きません。
まずはリオ五輪が決まっているなら目の前に集中した方がいいのではないかと、伝えさせてもらいました。そうしたら、見事に銅メダル。この競技のパイオニアだと思います。
あまりベラベラと話すことはなく、寡黙なタイプ。しかし、情熱を感じる。ひと言で言うなら「孤高の人」でしょうか。
特に印象的だったのは、東京五輪の延期が決まって以降の取り組みです。練習ができない期間、小さい頃を思い出したと言ってお風呂でパドルを漕ぐトレーニングを掲載するなど、凄くポジティブな発信をしていました。
どんな状況でもカヌーという競技を有名にしたいという、その一心。競泳のように日本では恵まれた環境で打ち込めるアスリートとは異なる考え方を感じていました。これは、他のアスリートも元気になると感じました。
しかし、その裏で「自分は大丈夫だということを見せたい」と言っていました。彼自身はいっぱいいっぱいだったと感じます。性格的に周りに心配をかけたくないのだろうと感じていたので、ちょっと心が痛かったです。