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松田直樹を忘れない 10年目の8月4日午後1時6分に姉が綴る想い「弟のような事もう起きないで」

亡くなる1年前の10年8月、ピッチ上で見せた松田さんの闘志あふれる表情【写真:Getty Images】
亡くなる1年前の10年8月、ピッチ上で見せた松田さんの闘志あふれる表情【写真:Getty Images】

倒れてから息を引き取るまでの2日間の感謝「皆さんの想いが力になりました」

 直樹は2011年8月2日に松本山雅での練習中に倒れ、その2日後に息を引き取りました。

 当時の記憶はあまり定かではありません。私は友人と伊香保温泉に来ていて、母から電話が鳴りました。「直樹が心肺停止になったって連絡があった」と。慌てて母と長野に向かい、「心肺停止」の言葉の意味も飲み込めず、いっぱいいっぱいでした。

 4日に亡くなるまで、本当にたくさんの選手や関係者の方が全国から駆け付けてくれました。さらに「病院まで行きたい」というサポーターの皆さんの声を、クラブを通していただき、多くの想いが私たち家族の2日間の力になりました。
 
 息を引き取った後、葬儀のため、直樹を霊柩車に乗せて群馬に戻りました。まだ現実か分からないような心情でしたが、その途中でドライブインに寄り道すると、直樹だけ降りてこられなかった。そのふとした場面で初めて実感したような気がします。

 家族としては、長いようであっという間の10年。悲しみは時が解決してくれるものと言いますが、実際にはそうではありませんでした。

 日々忙しく仕事をしていると忘れられることがあれば、たまたまその日はいつもの信州大学病院近くの練習場ではなかったこと、その練習場にAEDが設置されていなかったこと、「あの時、もし……」と思い出すこともあります。

 ただ、10年という月日を過ごす中で知ったことが増えました。「あの時に陰で支えてくれていた人はこの人だった」「病院まで、この人も駆けつけてくれていた」と時間を追うごとにいろんな話を聞き、当時は見えなかった温かさに本当に感謝しています。

 整形外科の看護師だった私は、より人の命と向き合うきっかけになりました。まだまだ不勉強だった心臓突然死について学び、その後、縁あって循環器内科に配属され、心臓の検査・治療をする部署で働くことになりました。

 病室を出て、家族に「行ってきます」と言って治療に向かう患者さんを見る時、いつも思うのは先生と看護師とともに「絶対、元気なまま安全に家族のもとに帰そう」ということ。弟のようなことは絶対に起きないように。その想いを繋げているつもりです。

さまざまなイベント、サッカー教室でAED講習を行っている【写真:松田真紀さん提供】
さまざまなイベント、サッカー教室でAED講習を行っている【写真:松田真紀さん提供】

 直樹の死後に立ち上げた一般財団法人「松田直樹メモリアル Next Generation」ではAEDの普及活動を行っています。

 たくさんの仲間達がサッカー教室などを行い、直樹の姿を伝えていく活動とともに、私は看護師の立場から教室と合わせてAEDの講習会を行ってきました。

 目の前で人が倒れたら、誰でも頭が真っ白になる。でも、その人を大切に思っている人は必ずいる。だから、自分にできることをしてもらいたい。周りに人を呼ぶこともできますし、今は119番をすると近くのAEDの場所や救命方法も教えてくれます。

 あなたの勇気を後押しになるように、いろんな場所で行われているAEDの講習会に気軽に参加してみてください。

 今はJリーグの各クラブやスタジアムにAEDの設置が広がりました。それは直樹のことだけがきっかけではありません。今、日本では心臓突然死で1年間に7万人が亡くなっていると言われ、それだけ多くの方が悲しい思いをされている現実があってのこと。

 その中で、2017年にコンサドーレ札幌で練習中に選手が倒れ、河合竜二さんが真っ先に「AEDを持ってきて!」と声を上げたと聞きます。他にも「直樹さんをきっかけにAED講習会に行きました」「温泉で倒れた人を救命処置をして助けました」という声を頂戴しました。

 直樹のことをきっかけに何か行動してくれる人がいたとしたら、ありがたいと同時に報われる想いです。

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