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世界8000万人の難民の希望背負って イラン人選手が国籍失っても、もう一度夢見たメダル

1回戦の相手は奇しくもイラン代表の元チームメートだった

 奇しくもアリザデの1回戦の相手は、イラン代表の元チームメート、ナヒド・キアニだった。キアニのコーチ、メフロ・カムラニは2年前までアリザデのコーチでもあった人だ。

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 カムラニは言う。

「大変な日でした。2人は元チームメートで、友達だったんです。彼女たちがこの試合でどれだけのプレッシャーを背負っていたか、想像できますか?」

 アリザデは、ただ勝つことだけに集中した。自分を証明するために、どうしてももう一度メダルを獲らなければならなかった。

 たとえ国籍がなくなっても、一人の競技者であることを証明したかった。差別を受け、人権を侵害され、知らない国で難民となった。

「一競技者として、女性として、人間として、リスペクトされることが、とても重要なんです」(アリザテ)

 アリザデは、18-9で元チームメートのキアニを下し、2回戦に駒を進めた。2人とも、試合後の記者会見に出席しなかった。

 2回戦でアリザデは、これまでオリンピックで2連覇をしている英国代表のジェード・ジョーンズを破った。一夜にして、彼女はメディアの注目を集め、難民選手団初のメダル獲得の期待はグッと高まった。

 しかし、アリザデは次の準決勝と、銅メダルを懸けた3位決定戦でどちらも敗れ、彼女の夢は潰えた。

 敗戦の後、アリザデは無観客の会場を一周した。

 イランの国旗を振りながら。

(井本直歩子 / Naoko Imoto)

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井本 直歩子

3歳から水泳を始め、小学6年時に50m自由形で日本学童新記録を樹立。中学から大阪イトマンに所属。近大附中2年時、1990年北京アジア大会に最年少で出場し、50m自由形で銅メダルを獲得。1994年広島アジア大会では同種目で優勝する。1996年、アトランタ五輪に出場。千葉すず、山野井絵理、三宅愛子と組んだ4×200mリレーで4位入賞。2000年シドニー五輪代表選考会で落選し、現役引退。スポーツライター、橋本聖子参議院議員の秘書を務めた後、国際協力機構を経て、2007年から国連児童基金職員となる。2021年1月、ユニセフを休職して帰国。3月、東京2020組織委員会ジェンダー平等推進チームアドバイザーに就任。6月、社団法人「SDGs in Sports」を立ち上げ、アスリートやスポーツ関係者の勉強会を実施している。

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