私が「バスケで生きていく」と決めた日 オコエ桃仁花を変えた高3のナイジェリアの記憶
日本との貧困格差を目の当たりにしたナイジェリアで決めた覚悟
「高校3年生のときに初めてお父さんの国、ナイジェリアを訪れたんです。ナイジェリアは日本との貧困差が激しくて。自分と同い年の子供たちが汗水垂らして仕事をしているのを見て、自分の悩みがバカらしく思えてきたんです。それで『人生、頑張ろう』って前向きに思えるようになりました」
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地元の中学校でバスケットボールを続けていたとき、オコエいわく「熱意のある監督や素晴らしいチームメートに恵まれた」ことで全国大会に出場。その活躍が認められ、強豪校からオファーが届いた。「ワクワク感のほうが大きかった」と進学した明星学園高(東京)でも2年夏のインターハイで3位になり、U-17日本代表にも選出された。
順調に進んでいた高校生活。しかし、最後の大会となるウインターカップ(全国高校バスケットボール選手権)には出場することができなかった。オコエはそれを自分の責任だと考えていた。
「自分がケガをしてしまってチームを出場させられなかったんです。それですごく落ち込んでしまっていた。携帯ニュースでウインターカップの話題が出てくるとさらに落ち込んでしまって。そんなときに家族が『ナイジェリアに行ってみたら?』と日本から出してくれたんです」
ナイジェリアでは叔父叔母、いとこと、たくさんの親族に会った。そして、ナイジェリアから日本にやってきた父に対する尊敬の気持ちが芽生え、日本で今、自分がバスケットボールに打ち込めている環境がありがたいと感じた。
「一番はお父さんを尊敬しました。この国で頑張ってきて、今、日本で生活をしている。それがすごく誇らしく思えたんです。それにバスケットコートがあるだけでも本当に幸せなことなんだと感じました。それまではバスケが好きという感覚はなかったですし、別にバスケの道じゃなくてもいいと思っていたんですけど、ナイジェリアに行ったことで、すごくバスケと向き合えるようになったというか、バスケで生きていこうと思ったんです。ケガをしたことで自分と向き合うことを放り投げていましたが、しっかりとケガを治して次のステップで活躍して、ナイジェリアと日本のハーフだということに誇りを持って、たくさんの人に知ってもらおうと思いました」
もう一人、「兄を見て育った」と語るプロ野球・東北楽天ゴールデンイーグルスに所属する兄・オコエ瑠偉の存在も大きかった。
「兄はメンタルがかなり強いので、周りから何を言われても絶対に変えない。お父さんやお母さんに言われても『自分はこう』みたいな。でも、それってある意味いいことだと思うんです。自分にはそれが足りないので、顔は似ているけど、性格は似ていないですね(笑)。強くまっすぐに生きている兄と違って、周りに流されてしまうところがあって。例えば、ネットに書かれてあることを気にしちゃうことも多いし、割と自信がないほうなので参考にしたい」