私が「バスケで生きていく」と決めた日 オコエ桃仁花を変えた高3のナイジェリアの記憶
「自分に起こるすべてのことに意味がある」と捉えて迷わずに選択
バスケで生きていく――。そう覚悟を決めてから下宿先の先生から毎日のように言われていた言葉がオコエの心のなかにある。
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「1日1日、時間は待ってくれない。今を大切にしなさい」
高校を卒業して、デンソーアイリスに入社。WJBLでプレーするようになり、新たな目標も生まれた。それが東京オリンピックだ。
「まさか1年目から日本代表に呼んでもらえるとは思えなかったので、そのなかで結果がついてきて、ワールドカップに出場できて、そこからオリンピックに出たいという目標が視野に入ってきたんです」
海外の強豪国と戦うなかで、世界と渡り合える部分とそうでない部分も見えてきた。「武器は3ポイント、課題は状況判断」と語るが、「今の準備だと足りない」ことも分かっている。だからこそ、「もっと練習して戦えるように準備したい」と意気込む。
人生の岐路において、迷わずに選択してきたから今がある。高校3年でナイジェリアの地を初めて踏んだことも、社会人3年目でデンソーから富士通に移籍したことも、オコエは「自分に起こることすべてに意味がある」と捉えている。
「やりたいと思ったらやるし、行きたいと思った行く。すべてがタイミングなんです。行って成功すれば、それは自分にとって意味のあることだし、行ってダメだったとしても、それはそれで自分にとっては意味のあることなんだと思う。だから失敗しても怖くないと思えるんです。それもきっと周りの人たちに恵まれたから。そこだけ強いのかもしれない」
兄のように強くありたい。常に自信を持って戦いたい。バスケで生きていくと覚悟を決めたあの日から、夢や目標の存在がオコエの背中を押してくれている。
「世の中には夢や目標がない人もいるじゃないですか。だから、何でもいいんです。私自身がそうであるように、夢や目標が原動力になると思うので、夢や目標を持つ大切さを伝えていけたらいいですね」
夢の舞台である東京五輪は“オコエ桃仁花”の名前を日本とナイジェリアに届ける絶好の機会となるはずだ。