部活動の“理不尽”をどう乗り越えたのか 小林祐三は「その先の自分を想像した」
現役時代、柏レイソル、横浜F・マリノス、サガン鳥栖でプレーし、Jリーグ通算435試合出場という輝かしい実績を持つ小林祐三氏が「THE ANSWER」の取材に応じた。前編では「プロとアマチュア」について語ってくれたが、後編は「理不尽」。約20年前、プロサッカー選手になることを夢見て進学した高校サッカー部では“理不尽”が当たり前のようにあった。小林氏はどうやって理不尽を乗り越え、夢を実現させることができたのだろうか。(文=藤井雅彦)
約20年前のサッカー強豪校にあった「えげつない」理不尽
現役時代、柏レイソル、横浜F・マリノス、サガン鳥栖でプレーし、Jリーグ通算435試合出場という輝かしい実績を持つ小林祐三氏が「THE ANSWER」の取材に応じた。前編では「プロとアマチュア」について語ってくれたが、後編は「理不尽」。約20年前、プロサッカー選手になることを夢見て進学した高校サッカー部では“理不尽”が当たり前のようにあった。小林氏はどうやって理不尽を乗り越え、夢を実現させることができたのだろうか。(文=藤井雅彦)
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「僕はどうしてもプロになりたかった」
中学時代に埼玉県選抜に選ばれていた小林祐三が進学したのは名門・静岡学園高校だった。サッカー王国の静岡県でも常に上位を争う強豪で、2学年上に永田充、1学年上に谷澤達也といったように、後にJリーグで活躍する選手がいた。プロを目指すのにこれ以上の環境はない。毎日の厳しいトレーニングによって成長し、実際に複数のJクラブから獲得オファーが届いたことが何よりの証拠だろう。
過酷だった高校サッカーを回想し、小林は大きく深呼吸してからこう切り出した。
「いろいろなものに打ちのめされました。練習が厳しいのはもちろんのこと、上下関係もとても厳しい。言葉を選ばず言えば、えげつないレベルだったと思います」
高校サッカーはつらくて苦しいのが当たり前。場面や状況にかかわらず根性論と精神論が飛び交う理不尽な世界だ。そして全国大会に出場するような強豪校になればなるほど、その度合いも増していくことが多い。
小林の高校サッカーは、入学前から始まった。一般入試ではなくスカウトされてきた選手は中学3年生の春休みから入寮し、学校生活よりもひと足早く部活をスタートさせるのが通例だ。ピカピカの1年生どころか、世の中としての立ち位置はまだ中学生。それでも強豪校が長い年月をかけて築いてきたルールと先輩たちは、容赦してくれない。
当時、早朝練習は5時30分から始まる。ただし、1年生は上級生がグラウンドにやってくる前に全員が整列して待機するという掟があった。自然と起床時間が早まり、4時30分起きは当たり前。ひとりでも寝坊して遅れるようものならば、1年生全員に厳しい罰則が待ち受けていた。
午後練習は授業終了後の16時頃にスタートし、3時間前後のハードトレーニングを必死にこなす。用具などの後片付けを終えてようやく寮に戻り、晩御飯と入浴を済ませた頃には時計の針が20時を回っている。夜更かしする体力が残っているはずもなく、翌朝の起床に向けて目覚まし時計をセットするのが精一杯だった。
「いわゆる体育会系の文化が残っている時代でもあったし、理不尽に感じる練習もありました。でもそれは自分がその道を選んで進んだことなので受け入れられます。ただグラウンドの外での理不尽は味わわなくてもいいかもしれない(苦笑)。大切なのは自分がどうなりたいか、どうありたいか、だと思います」