39歳の新たな挑戦 松井大輔がベトナム移籍を決めたワケ「生き様から何かを感じてほしい」
チャレンジに意味や価値はないのか…その答えは「絶対に違う」
今年5月には40歳になります。36歳の時、ポーランドの2部リーグでプレーして、それなりに大変な思いや苦労もあった。それから日本に戻ってきたけど、またいつか海外でプレーするチャンスがあったら行きたいという思いはずっと持っていました。実際にオファーをもらって体力や気力を思い起こし、奮い立たせるにはエネルギーが必要だったけど、僕は今までも、そしてこれからもチャレンジの道を選ぶだろう。
【注目】育成とその先の未来へ 野球少年・少女、保護者や指導者が知りたい現場の今を発信、野球育成解決サイト「First Pitch」はこちら
人生の節目の年にこんな経験をできる選手はなかなかいないはず。単純にサッカーだけではなく、そこに関わるいろいろなことが見えてくると、違う観点から物事を考えられるようになる。国と国をつなぐ架け橋になれれば、企業や人の輪を広げることもできる。そんな存在になりたいと思うし、今までサッカーにお世話になってきたので、サッカーを通じて恩返ししたい。
30代後半ともなれば現役を退く選手がほとんどで、僕の周りでも多くの選手がスパイクを脱ぐ決断をしてきた。年齢は一つ上だけど(中村)憲剛のような例は最高の形で、引退することが羨ましい気持ちも湧いてくる。でも、人それぞれの道があるし、自分は自分の道を歩いていきたい。昔から知っている何人かの選手から電話がかかってきて、みんな羨ましがっていたよ(笑)。
今は日本人でも10代で海外移籍する時代になってきて、30歳を過ぎた選手は移籍金としての価値はない。それは紛れもない事実だろう。では、自分のチャレンジに意味や価値がないかと言えば、絶対に違うと思う。チャレンジする姿勢や生き様から何か感じてもらえたら、こんなにうれしいことはない。
ということで、僕は今日もベトナムの太陽の下で大粒の汗を流しながらボールを蹴っています。また来月お会いしましょう。松井大輔でした!
松井大輔
1981年5月11日、京都府生まれ。サッカーの名門、鹿児島実業高校を卒業後に京都パープルサンガ(現・京都サンガ)でプロキャリアをスタートさせる。2004年にフランス、ル・マンへの海外移籍を皮切りに、ロシア、ブルガリア、ポーランドでプレーし、Jリーグではジュビロ磐田、横浜FCでプレーした。日本代表としても活躍し、ベスト16に輝いた2010年南アフリカワールドカップにも出場。今年1月からは、ベトナムのサイゴンFCで新たなチャレンジを行っている。
(藤井雅彦 / Masahiko Fujii)