五輪の舞台に届かなかったマラソン人生 それでも出会えた「新しい自分」
千葉真子はマラソンに転向して以降、五輪の舞台を踏めないまま競技生活にピリオドを打った。喜びも苦しみもあったマラソン人生。しかし彼女はマラソンとの出会いによって「新しい自分」に出会えたのだった。
千葉真子が語るマラソン競技、「生きる術を教えてもらった」
人生はよくマラソンに例えられる。
42・195キロの道のりには多くのドラマが詰まっており、人生に重なる部分があるからだろう。
1996年のアトランタ五輪、女子陸上1万メートルで5位入賞を果たした千葉真子はマラソンに転向して以降、五輪の舞台を踏めないまま競技生活にピリオドを打った。
喜びも苦しみもあったマラソン人生。しかし彼女はマラソンとの出会いによって「新しい自分」に出会えたのだった。
「私の血液型はA型で、細かい性格と言えます。トラック競技をやっているときは昨日の練習よりタイムが1秒落ちるだけで悔しかったんです。でもマラソンをやってからは、日々のトレーニングに一喜一憂するんじゃなくて自分の成長を待てるようになった。
日々の練習が点にとどまらない。レースまでじっくりトレーニングしていくなかで、何か月後の自分を見据えてゆるやかにいい状況をつくり上げていく感覚に変わっていきました。今やっていることは決して無駄ではないんだ、と。マラソンは大人の競技。実は子育ても似ているんです。点で見るのではなく、線で見ていく。そうすると子供の成長をじっくり待てるんです」