【月間表彰】闘莉王の「9月の最熱モーメント」 “偉業”の53歳カズを選出「銅像作って欲しい」
2011年チャリティーマッチでゴール演出の思い出「この人なら何とかしてくれる」
キングへの尊敬の念が絶えない闘莉王氏。その中でも、カズとともにピッチに立った思い出の一戦を振り返った。
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2011年3月29日、長居スタジアムで行われた日本代表対JリーグTEAM AS ONEの「東日本大震災復興支援チャリティーマッチ」に出場。闘莉王氏はJリーグTEAM AS ONEの一員で先発した。しかし、前半15、19分と立て続けに失点した。重い雰囲気を一変させたのが、後半17分から登場したカズだった。
同37分。GK川口能活のロングフィードを闘莉王氏が頭で落とし、カズが反応した。相手GKとの1対1からネットを揺らすと、スタンドに向かってカズダンスを披露。闘将は当時を懐かしそうに振り返った。
「あれ、アシストです(笑)。カズさんが入ってきて何とかしようと思っていた中で、能活さんが『最後だから上がってくれ』と。ボールがドンピシャで俺のところにきて、ちょうどカズさんがいいところに走ってくるの見えたので、そこにボール送り込んだ。
『この人なら何とかしてくれるんだろな』と思ったら、その通りだった。その後、カズさんのダンスに鳥肌が立ちましたね。あの舞台でゴールを決めてくれるというのが、さすがキングカズです。星が違います。カズさんに『いつかお返しもらいますよ』という話をしたんですけど、いまだにお返しきていないですね(笑)」
日本に勇気を与えた“伝説のゴール”から9年半――。闘莉王氏は普段はカズとポルトガル語で会話。「カズさんのポルトガル語、完璧ですよ。そこらへんの通訳より上手いです」と絶賛した。「マルクス」と呼ばれているという。
「マルクスと呼ぶのは怒った時の母親ぐらいなんですけど……さすがあの人は違いますよ!」と表情を緩めた。誰もが憧れ、尊敬する人間性、カリスマ性、その背中を闘莉王氏も追いかけてきた。
「凄くいい人で、オーラがあって、会うだけで元気が出る。これからも記録更新して欲しいですね。カズさんならどこまででもいけると思う。銅像も作って欲しいし、日本の宝。カズさんのストーリーは凄すぎて、なかなか世界でもない例だと思います。日本人としても誇りに思います」
闘莉王氏だけでなく、多くの選手のサッカー人生に大きな影響を与えたカズ。次はジーコ(鹿島アントラーズ・テクニカルディレクター)が持つ41歳3か月12日の最年長得点記録更新にも期待がかかる。彩り続けるカズの物語。これからも新たなページが紡がれていく。
■田中マルクス闘莉王
1981年4月24日生まれ、ブラジル出身。渋谷教育学園幕張高を卒業後、2001年にJ1広島でプロデビュー。06年に浦和のリーグ初優勝に貢献し、同年のJリーグMVPに輝く。07年にACL優勝、名古屋移籍後の10年に自身2度目のJ1制覇。03年の日本国籍取得後は日本代表としても活躍し、04年アテネ五輪、10年南アフリカW杯に出場。日本代表43試合8得点の成績を残した。19年12月にJ2京都で現役引退。現在はブラジルで実業家として活動する傍ら、公式YouTubeチャンネル「闘莉王TV」も話題に。
(小杉 舞 / Mai Kosugi)