【THIS IS MY CLUB】37歳で未だ進化 松本山雅・田中隼磨が培ってきた“不動心”「全力を出し続けるだけ」
サッカーJリーグは6月27日にJ2が再開、J3が開幕、7月4日にJ1が再開する。サポーターにとっては待ちに待った瞬間を目前に、複数のメディアによって構成される「DAZN Jリーグ推進委員会」はJリーグ全56クラブの主力選手、クラブ幹部、スタッフをインタビュー。「THIS IS MY CLUB - FOR RESTART WITH LOVE -」と題した企画で、開幕、再開を熱く盛り上げる。
ストイックに自分を追い込む37歳が今、見据えるもの
サッカーJリーグは6月27日にJ2が再開、J3が開幕、7月4日にJ1が再開する。サポーターにとっては待ちに待った瞬間を目前に、複数のメディアによって構成される「DAZN Jリーグ推進委員会」はJリーグ全56クラブの主力選手、クラブ幹部、スタッフをインタビュー。「THIS IS MY CLUB – FOR RESTART WITH LOVE -」と題した企画で、開幕、再開を熱く盛り上げる。
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THE ANSWERではJ1への返り咲きを目指す松本山雅FC、田中隼磨主将を直撃。百戦錬磨のベテランは、未曽有の状況にもブレることなく昇格という目標を目指す。
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節目のプロ20年目を迎えた。37歳とすっかりベテランの域に入ったが、一心不乱にボールを追いかける姿は若かりし日とまったく変わらない。
聞けば「体力測定の数値は年齢を重ねても衰えることなく、日々自分の身体と向き合っています。でも、ただ走るだけではダメですけどね」。あっけらかんと笑う。ピッチ外でも食生活や睡眠の重要性は身に染みて分かっている。それを365日続ける強い意志が、今の田中隼磨を形作っている。
松本山雅FCに加入したのは2014年のこと。名古屋グランパスを退団し、新天地に選んだのは故郷・松本だった。
「生まれ育った松本でプレーできることを誇りに感じています。過去に僕が所属していた横浜F・マリノスや名古屋グランパスは、責任企業と言われる大きな会社が支えてくれるクラブでした。それに対して松本山雅は地域の人たちに支えられている部分が大きい。僕の小さな頃を知っているおじいちゃんやおばあちゃんがスタジアムに足を運んでくれて声を枯らして応援してくれるのは大きなパワーになります」
松本山雅といえばサポーター。サポーターといえば松本山雅。いつしかそんなふうに言われるようになった。頼もしすぎる十二番目の存在は、日本全国に誇れる自慢だ。
しかし、新型コロナウイルス感染拡大によってサッカーを取り巻く日常は大きく変わった。
世界的に猛威を振るっている感染症の影響でJリーグは中断を余儀なくされた。それは先の見えない戦いの序章に過ぎず、政府が緊急事態宣言を発令してからは公式戦どころか全体練習すらままならなくなった。
田中自身、こんな形でプロ20年目を過ごすとは想像していなかった。
「小学生でサッカーを始めて、頑張って努力してプロになれた。ずっと全力疾走してきました。でも、こんなに長い時間サッカーから離れたことはありません。怪我でグラウンドから離れるのとは訳が違いますから」
神妙な面持ちでいて、淡々としている。いや、現状を受け入れていると言うべきか。
今年からチームキャプテンに就任したこともあり、簡単に一喜一憂するわけにはいかない。ベテラン選手の立ち居振る舞いがチーム全体に落ち着きを与えることは経験則から知っている。横浜F・マリノスでは松田直樹や中澤佑二、名古屋グランパスでは楢崎正剛といった偉大な先輩の背中を見てきた時間が、今に生かされている。