【今、伝えたいこと】岩に恋した22歳、大場美和が登り続ける理由「クライマーの挑戦に限界はない」
運命を感じたクライミング、成功に「嬉しさ」と「寂しさ」が同居するワケ
タイトルはよく覚えていない。でも、クライミングの専門誌じゃないことは確か、という。
「小学4年生の時、日本でワールドカップ(W杯)が開催されたことが取り上げられていて、壁を天井みたいな高さまで選手が登っている写真があった。『ああ、カッコいいなあ』と思ったんです、『私もやってみたい』って。ワクワクするような感覚でした」
小さな予感は、実際にクライミングのジムに行くと、確信に変わった。もともとやっていた器械体操を怪我で諦め、「何か新しいスポーツをやりたい」と思っていたタイミング。「小さな子どもが木登りをする感覚で、自分の力で高いところに登っていく感覚が楽しくて」。無機質な壁に、運命を感じた。暇を見つけてはジムに向かい、何度も落ちては登り、成功するまで繰り返した。
のめり込むと、成績もついてきた。手足が長い、恵まれた体格。「クライミングを続けていくうちに大会に出る、W杯を目指すみたいな自然の流れで。あまり深く考えず、W杯の道を歩んでいた感じ」。13歳でJFAユース選手権のリード、JOCジュニアオリンピックで優勝。東京五輪金メダル候補の野口啓代、野中生萌らとともに、クライミング界で将来を嘱望される存在にまでなっていた。
活躍の舞台は、選手の枠を飛び越えた。高2の時にはCMに出演。制服姿で学校の壁をよじ登った動画は、1週間でネット再生100万回を超え、「校舎をよじ登る女子高生」として話題になった。クライミングを題材にした映画ではヒロインも務めた。
クライミング人生の転機となったのは、世界的なフリークライマーとして活躍していた小山田大との出会い。屋内を飛び出し、雄大な自然で岩を登るフリークライミングの魅力を知り、「私もその世界でやってみたい」と次第に憧れが膨らんだ。
スポーツクライミングに区切りをつけたのは20歳の時。東京五輪の種目に採用されることが決まっていたが、迷いはなかった。
「自然が作り出したものと戦うことが、私にとっては魅力でした。クライミング自体、岩を登ることから始まって、今のスポーツクライミングに発展していった。もともとのクライミングをしたいと。人間が自然にある岩を登ることにすごくロマンも感じたんです。岩にある少しのとっかかりだけを頼って、最初から最後まで登っていく。それが、私にとってすごく楽しかったんです」
スポーツクライミングは競技性が高く、ライバルと成績を争う競争意識が強かった。しかし、自然の岩を登る時、戦う相手は自分になる。「私も人と争うのは向いてないと思うところもあった」と分析する。「常に自分との戦いで、自分のペースでできる。そこが合っていと思うし、自然で見える景色も好きになります」。小4で感じた運命はフリークライミングにつながっていた。
以降はプロのフリークライマーとして岩を登り続けている。しかし、自然を相手にするから難しいこともある。課題として認定されている岩場まで険しい山道を1時間以上かけて登ることもざら。「一般の方なら辿り着くだけでヘトヘトになるかも」と笑う。
そんな過酷な環境で挑戦し続ける。「クライミングは失敗が多い競技」という。「もう投げ出したくなることもよくあります。でも、投げ出してしまったら一生登れないから」。その裏で、ようやく成功した時、歓喜と一緒にやってくる特別な感情がある。
「一つの課題に何年もかけて登ることもある。一度の成功のために何百、何千という失敗をすることがある。それくらい、思い入れの強い課題なら成功したら涙が出るくらい嬉しい。同時に“寂しさ”があるんです。一度登ってしまったら、同じ課題を登ることはほとんどない。それまで生活の中心だったものが、一気に変わってしまう。だから、また新しい課題を見つけていくのかな」
成し遂げた成功に「嬉しさ」と「寂しさ」が同居する珍しい競技。そんな唯一無二の魅力の恋して、岩と向き合っている。