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【今、伝えたいこと】「いつでも本番を迎えられる準備を」 荻原健司が五輪アスリートに求める“覚悟”

1992年アルベールビル五輪で金メダルを獲得した荻原氏(中央、左は三ヶ田礼一さん、右は河野孝典さん)【写真:Getty Images】
1992年アルベールビル五輪で金メダルを獲得した荻原氏(中央、左は三ヶ田礼一さん、右は河野孝典さん)【写真:Getty Images】

五輪を目指すアスリートが「今できることは準備しかない」

 一方でトップアスリートが大目標として目指す東京五輪は1年延期が決まった。4度五輪に出場し、2大会連続で金メダルを獲得した大先輩としては、“オリンピックアスリート”に対して自覚を求めた。

「まずは1年延期が決まりました。目標、練習計画も立てやすくなった。ただ私としては、今のコロナによる困難な状況が改善されることはなくても、プロアスリート、オリンピックアスリートの皆様には、もし仮に、明日本番をやることになったとしても、ベストな状態で、いつでもいけるように準備をしておいてほしい。そのくらいの気持ちでいてほしいと思っています」

 もちろん施設が使えず、満足いく練習環境がない状態だとは理解している。それでも荻原さんが強調するのは意識の点だ。

「NTC(ナショナルトレーニングセンター)も使えない状況の中で、色々な条件が限られています。そんな中で、できる準備だけはしっかりしておくこと。自分が今、できることは何なのか。アスリートがコロナを退治することは難しいですよね。日程を決めることもできません。できることと言えば準備しかない。そこに100%を注ぐことです。

 オリンピックは本来、4年に1度ですが、今回は5年。常にベストな状態を保っておくのがプロのアスリートです。それが、オリンピックに出るような選手だと私は思っています。種目によってはオリンピックの代表に決まっている選手もいる。決まっている中で、1年待つというのはモチベーションを考えても長いと思います。安定した環境にいると、誰しも気持ちが守りに入ってしまうこともある。そういう意味で油断は大敵です」

 準備の大切さを強調するのは自身の経験にもある。荻原さんは1992年のアルベールビル、94年のリレハンメルと、2大会連続で団体金メダルに輝いた。2年という短いスパンで迎えた大舞台で連続して頂点を掴み取った。しかし悔いがあるという。

「92年と94年に関してはわずか2年。W杯でも総合優勝を続けていた時期だというのもあって、ある種の勢いみたいなものでいけました。ただ悔いもあります。94年は団体では金メダルでしたが、個人では4位でメダルにとは届きませんでした。当時はずっと結果が出ていたし、調子も良かった。『普通にやれば勝てる。冒険をする必要はないんだ』と、どこかで守りに入ってしまいました。それでああいう結果になってしまった」

 92年のアルベールビルでは個人で7位だったが、その後はW杯で圧倒的な成績を残して迎えた94年のリレハンメル。大本命として迎えたノルウェーでの五輪だったが、金メダルどころか表彰台にも上がれなかった。それを荻原さんは「守りに入ってしまったゆえの敗戦」だと分析している。

 だから、次の98年長野五輪へ向けては「絶対に金メダルを獲る。そういう気持ちをわずかでも失ってはだめだ」と目の色を変えて臨んだという。結果的には日本選手団の主将として臨んだ自国での五輪でも個人は4位でメダルにはあと一歩だった。「結局メダルは獲れなかったのですが、リレハンメルで残していたような悔いはありません」と回想する。

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