【今、伝えたいこと】部員の事故で夢を絶たれた高3の夏 ケイリン脇本雄太「あの時、諦めなくて良かった」
大きな目標を失った高校最後の年「本当に諦めなくて良かったなって」
脇本が競技人生の岐路に立たされたのは、実はこれが初めてではない。
インターハイという大きな目標がなくなった高校生へ向けて伝えたいメッセージがある。自身もある事情により、高校3年の夏の大舞台には出られなかった。
「僕が自転車を始めたのは高校からです。3年生になって、新しく新入部員が入ってきました。でもすぐに入ってきたばかりの1年生が亡くなったんです。不慮の事故でした」
脇本が福井・科学技術高3年だった2006年の5月。県総体へ向けた練習中に1年生部員が練習中の事故で亡くなったのだ。この事故により同校の自転車部は廃部の危機に立たされたという。
「廃部になるかどうか、自転車部は瀬戸際に立たされました。休部が決まった時点で、県総体、北信越総体、インターハイ……。すべて出場不可能になった。僕自身、部を辞めようかなと思いました。すごく悩みました。目標を失って諦めていた時期に、母親から『あなたには国体もあるんだから、まだ頑張りなさいと』と。励まされたことは大きかったです」
廃部こそ免れたものの、半年間の活動休止に。それでも脇本は母の言葉を胸に、再び気持ちを奮い立たせた。
「休部中は練習もなかなかできませんでしたが、それでも新たに国体という目標に切り替えようと。そこへ向けてもう一度頑張ろうと。それで国体も優勝することができて、自転車部自体も存続が可能になった。本当に自分自身、諦めなくて良かったなって。
5月の事なので、時期的には今と似ています。今の子ども達に僕自身が言えた口ではないのかもしれません。でも、軽い言葉になってしまうかもしれませんが、諦めないで欲しい。インターハイがなくなっても、国体もあります。また一丸となってそこへ向かって、頑張って欲しいです。僕自身もインターハイに出られないショックはありました。なんでうちらの部だけって。でも応援してくれる人は周りに絶対にいます」
あの日、諦めていれば今の姿はなかったと確信している。
コロナ禍の今、逆境で踏ん張ること、そして前へ進むことが、明日の自分を作ることを脇本は知っている。
■脇本 雄太(わきもと・ゆうた)
1989年3月21日生まれ、福井県出身。福井・科学技術高で自転車競技を始める。2、3年時に国体・少年1000メートルタイムトライアル2連覇。2008年に競輪デビュー。16年リオ五輪出場。17年12月のW杯で日本勢14年ぶりの優勝。翌年10月のパリ大会でW杯2勝目。競輪では2019年の日本選手権競輪でGI3勝目。オールスター競輪のファン投票で初めて1位に選出された。180センチ、82キロ。
(第4回はサッカーJ1横浜F・マリノスの大津祐樹が登場)
(THE ANSWER編集部・角野 敬介 / Keisuke Sumino)