【今、伝えたいこと】 「国難とスポーツの力」 震災を乗り越え、W杯で世界一になった佐々木則夫の願い
W杯で選手を変えた出来事「あのイングランド戦の後がポイントだった」
震災直後、先行きは混沌としていた。予定していた代表合宿は中止となり、なでしこリーグも中断。大会に出場できるかも不透明に。無事にドイツ行きが決まったのは、震災から1か月後だった。ただ、一つずつ歩みを進める中で芽生えた思いがあった。
「当時はまだ最終メンバーも発表していなかったし、参加できるかどうかの不安もあった中で、一つ一つ不安が解消されていくと、サッカーができる、大会に参加できるという喜びが生まれていった。日本代表として国民の皆さんに何かを与えられるほどのチームではなかったけど、『私たちのプレーで勇気を送りたい』という思いが生まれ、全員が心を一つにしていい準備で臨めた」
6月に海を渡った21人の“闘うなでしこ”たち。「誰かのために」を思える集団は、強かった。
1次リーグ初戦のニュージーランド戦を2-1で白星発進を飾ると、続くメキシコ戦は4-0の大勝で2連勝。迎えた第3戦のイングランド戦は引き分け以上で1位通過が決まる状況に。その場合、決勝トーナメント1回戦の相手はその年の遠征で2連勝し、好相性だったフランス。負ければ、過去に1度も勝ったことがなく、前回女王の開催国ドイツ。当然、「フランスとやりたい」が、本音だった。
ただ、頭の中に“計算”が生まれたチームは攻め込みながら決定機を欠き、もがき苦しんだ。結果、カウンター2発を食らって0-2で敗れ、2位通過に。最も避けたかったドイツとの激突。「チームとして本来できたことが何もできず、すごく困惑した。しかも、一度も勝ったことがない相手。メンタル的にショックを数日間、引きずったのは事実としてあった」と佐々木は振り返る。
しかし、日本はドイツに勝った。延長後半3分、FW丸山桂里奈が決勝ゴール、スコアは1-0。番狂わせの舞台裏を明かす。
「イングランド戦から切り替えられたことはまさしく『日本が震災に遭って大変な思いをしている人が大勢いるにもかかわらず、俺たちが背負うこの状況なんて比較したらどうだ』と問いかけ、選手たちの間で心を一つにすることができたから。試合2日前から彼女たちの精神的な強さは、本質的なものに変わった。
自分を信じ、仲間を信じ、サッカーをやれる喜びの下にチームとして頑張ろうと意識が統一された。一度も勝ったことがないドイツと戦い、延長で勝てた。日本にいる人たちの大変さを思うと今、自分たちが大変な状況になった中でも『私たちにはサッカーをできる喜びがある』と、それをピッチで表現できた」
勢いに乗った日本は準決勝でスウェーデンを3-1で破ると、決勝の世界ランク1位の女王・米国戦は大会史に残る死闘となった。延長を含め、2度のリードを許しながら、延長後半12分にMF澤穂希の同点ゴールでPK戦に持ち込むと、最後は3-1で優勝を飾った。
ドイツに出発する際は空港に記者2人、同便だった年配の女性に「なでしこジャパン……ああ、バレーボールの人たちね」と声をかけられた若き女性たちは世界一となり、日本中に歓喜を沸き起こした。国民栄誉賞を受賞し、一躍、国民的英雄となった。
多くの人の記憶には決勝の激闘が刻まれているが、佐々木の記憶に残るのは選手たちが逆境で生まれ変わる姿だった。
「あのイングランド戦の後がポイントだった」
そう言って、懐かしそうに目を細めた。
「彼女たちの世代はまだ“サッカーは男のものだ”という環境で育ってきたからかもしれないけど、彼女たちはいつも少女たちのために頑張ろう、私たちの姿を見て誇りに思って目指してほしい、そんなものが合言葉のようだった。そういう環境でサッカーをやってきている彼女たちゆえに、第三者への思いが重なりやすく、その強い資質を持っていた。
一戦一戦やるごとに彼女たちの成長とドラマがある。その中でステップアップしていく。準決勝、決勝を見ている時なんて、ベンチからの選手のコーチングの質も高くなり、チームができ上がってきた。僕は見ているだけでニコニコしちゃうくらい、本当にうれしいわけで。そんな風に日本への思いを抱きながら頑張ったこと。それが、結果に結びついた」
災害から立ち上がろうとする背中を押し、日本を一つにした日。あれから9年が経ち、スポーツが持つ力が今、問われている。