14歳で訪れた岐路 五輪金候補・四十住さくらの才能は「ラストチャンス」で開花した
ラストチャンスを前に転倒「記憶がなくなった」、大会本番へ
決勝に進出すれば賞金が手に入る。中学3年で突然訪れた競技人生の岐路。文字通りラストチャンスだった。しかし、元日にアクシデントに見舞われた。家族で墓参りした帰りにも神戸で練習。高さ4メートルのハーフパイプで滑っている途中で頭から落下した。「記憶がなくなった」。脳震盪だった。
「何の技をやったのか、こけてから(休憩するための)部屋に歩いて行った記憶がないんです。たまたまお母さんが動画を撮っていて、それを見て『この技でこうこけたんや』みたいな。どうこけたのか動画を見てわかる感じでした」
骨折などのケガはなかったが、冷や汗をかく事故だった。アクシデントを乗り越えて迎えた大一番。また一つ、壁を迎えた。公式戦は大会ごとにコースの形が変わるため、公式練習の決められた時間内にコースを把握し、感触を確かめなくてはならない。初めての経験だった。それでも、本番で勝負強さを発揮した。
「勝ちたいというよりも、全部出し切りたいという気持ちが強かった。うまくても本番に弱い人はミスをたくさんするんですけど、練習で凄く失敗するところでも本番でうまく乗れる。本番に強いタイプ。それが自分の強みだと思います」
目の前の1本にぶつける集中力。無我夢中で練習してきたように、海の向こうに場所を移しても自分の技をやり切ることに焦点を当てた。最後になる可能性のあった大会で決勝進出。「決勝に行った時点で賞金をもらえるから、お母さんはそこで安心していました(笑)。『明日も頑張ろう!』みたいな。喜んでいましたね」。結果は3位入賞だ。
スケートボーダーとしての“初任給”。「さくら、もう一回大会行けるぞ!」。両親の声も弾む。次の大会で優勝した。さくらの才能が開花した。チャンスをものにした結果、噂が広まり地元のスポンサーがサポ―トしてくれるようになった。翌年には日本選手権、ジャカルタ・アジア競技大会、世界選手権で優勝。崖っぷちのラストチャンスから道を切り拓き、世界女王まで上り詰めた。
「あそこで決勝に行っていなかったら、今はないってことですよね。(決勝に進めていなかったら?)う~ん、家の前でスケボーしてたかな」