サッカー“欧州組”が独1部で苦戦する理由 ドイツS級日本人コーチ、心身の「強度不足」を指摘
21世紀に入り「欧州組」という言葉の浸透が象徴するように、選手の海外進出は加速された。また日本サッカーが認知されると、最近ではタイ代表を指揮する西野朗監督を筆頭にアジア諸国に招聘される指導者も目立つようになった。だがそれでも、いまだに欧州のトップリーグで実際にチームを統括した日本の指導者は1人しか誕生していない。
【“ドイツS級コーチ”鈴木良平の指導論|第1回】香川真司が変えた日本人への評価と、近年欧州組がドイツで苦戦する理由
21世紀に入り「欧州組」という言葉の浸透が象徴するように、選手の海外進出は加速された。また日本サッカーが認知されると、最近ではタイ代表を指揮する西野朗監督を筆頭にアジア諸国に招聘される指導者も目立つようになった。だがそれでも、いまだに欧州のトップリーグで実際にチームを統括した日本の指導者は1人しか誕生していない。
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1984年夏、鈴木良平は当時ブンデスリーガ1部に属するアルミニア・ビーレフェルトのヘッドコーチに就任した。現役時代に輝かしいキャリアを築いたわけではないが、東海大学を卒業すると1973年に指導者を目指して単身ドイツへ留学。この頃、独特の攻撃的なスタイルで欧州を席巻していたボルシア・メンヘングラードバッハ(MG)に3年間帯同しながら、現地でB級から最高級のフスバル・レアラー(S級)までを取得した叩き上げだった。
当時日本はアマチュアで、歴史的にもどん底に近い低迷期。ワールドカップはもちろん五輪への道も長く閉ざされていたが、そんな後進国から来たコーチの指導に、世界最高水準を誇るドイツのプロ選手たちがしっかりと耳を傾けた。その後も鈴木は、ドイツのトップシーンに身を置く多くの関係者との交友を続けており、頻繁に当地を訪れ情報を更新してきた。現在鈴木は、UEFAチャンピオンズリーグやブンデスリーガなどの解説でお馴染みだが、ブレない圧倒的な説得力はこうした経験や蓄積に裏打ちされている。
そんな鈴木が、日本の現状を憂う。もちろんドイツで指導をしていた1980年代に比べれば、彼我の差は縮まっている。Jリーグが創設され、2006年ワールドカップ直前のテストマッチではドイツ代表に引き分け(2-2)、一時はブンデスリーガへ進出する日本人も急増した。だが現在ブンデスリーガ1部でプレーする日本人選手は、長谷部誠、鎌田大地(いずれもフランクフルト)、大迫勇也(ブレーメン)の3人。レギュラーポジションを奪い取る選手は減少傾向にある。
「日本の選手が認められる大きなきっかけとなったのは、香川真司の大ブレイクです。2010年南アフリカ・ワールドカップでは、日本代表の最終メンバーに残れなかった。ところが直後の夏に開幕したリーグ戦で、優勝したドルトムントを牽引することになった。これで日本には代表ではなくても、こんなに凄い選手がいると若手に目を向けられるようになりました。またドイツ国内で信頼を得ているトーマス・クロート(代理人)が仲介することで、クラブ側も受け入れるようになりました」