沖縄球界に異変起こした謎の高校 興南・沖縄尚学の2強破って創部3年目で県王者「エナジックスポーツ」とは
悲運の闘将が辿り着いた「弱者の兵法」と「意味あるサイン無視OK」の考え方
「私が大きく変わったのは、あの頃です」と振り返るのは、中部商時代だ。きっかけは九州遠征で熊本県の伝統高である済々黌と行った練習試合である。
中部商は好投手を擁していたが、個々の能力が高いわけではない相手に徹底してバント攻撃を仕掛けられた。エースは足を削られ、ピッチングが崩壊。さらに最も衝撃を受けたのは、2死満塁の場面でのこと。ボールカウント3-2からのまさかのスクイズで不意を突かれ、1点を献上した。「こういう攻め方もあるのか」。衝撃と同時に、発見でもあった。
「沖縄水産に勝つにはこれしかない」
2000年代に入ったばかりだった当時、沖縄水産には右の本格派投手が2枚いた。甲子園に最も近い存在と見られていたが、公式戦で当たる度にバント攻撃を徹底。機動力でかき回して金星を連発した。「いわゆる弱者の兵法ですよね。あれ以来、栽先生には一度も負けませんでした」
機動力野球の追究は浦添商でも続いた。次に試みたのは、サインに対する考え方の改革だ。
送りバントのサインを出しても、内野手が突っ込んできたらヒッティングに切り替える。エンドランのサインを出しても、スタートが切れなければ打つのをやめる。サインを出してなくても、行けると思えば盗塁を狙っていい。野球場の扇の中では、常に一瞬の駆け引きがある。だから、選手にはこう伝えた。
「根拠のあるサイン無視はオッケー」
自己判断に委ねる範囲を広げた結果、選手たちの観察眼が養われ、攻撃で相手の隙を突く場面が増えた。
迎えた2008年、夏。
エース伊波翔吾と山城一樹捕手のバッテリーを中心とした浦添商は、その年のセンバツで全国制覇を成した東浜巨投手(現ソフトバンク)擁する沖縄尚学を県大会決勝で5対2で破り、遂に甲子園行きの切符を掴み取った。神谷氏が高校野球の指導を始めてから30年の節目の年。選手たちは監督の晴れ舞台に花を添えるように聖地で躍動し、ベスト4という目覚ましい結果を残した。
「あの時はバッテリーが良かったことが甲子園に行けた一番の要因でしたが、チームとしてスクイズのサインを出したけどヒッティングをしたり、自己判断で盗塁したりするということが多かった。選手たちが瞬間の判断でサインを無視し、機動力を駆使したことがいい結果につながりました」と回想する。
この成功体験が、エナジックで取り組むノーサイン野球の素地になっていることは言うまでもない。