“スポ根アニメ”のモデル校を率いた名将 「鬼」の厳しい練習と先駆的だった指導法
史上初の高校3冠達成、『赤き血のイレブン』誕生へ
ただし松本氏は、厳しいだけではなく、少しでも世界に近づこうと、当時としては先駆的な考え方も示していた。
1960年代にはハンガリー人のアルバド・チャナディの指導書を熟読し、自分で考えてプレーすることを奨励し、スタメン11人だけではなく15~16人で誰が出ても勝てるサッカーを目指した。
こうして永井氏が2年生になると、インターハイ、国体、高校選手権と史上初の三冠を達成。これがサッカーアニメの嚆矢(こうし)となる『赤き血のイレブン』の誕生につながる。さらに現日本サッカー協会会長の田嶋幸三氏を擁した大阪開催最後の高校選手権と、水沼貴史氏(元日本代表)を新入生に迎えた東京移転後初の大会では連覇を成し遂げた。
1976年度の東京移転後初の決勝は、歩くようにゆっくりとプレーをする静岡学園との5-4の激戦が語り草となっている。実は明暗を分けたのは満員の国立競技場のピッチに立ち、過緊張状態に陥った静岡学園に対し、松本監督はキックオフの3時間前に選手たちにスタジアムの様子を見せて落ち着かせた。浦和南が前半でゴールラッシュを見せた要因で、ベテランの知将らしい配慮でもあった。
(加部 究 / Kiwamu Kabe)