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“スポ根アニメ”のモデル校を率いた名将 「鬼」の厳しい練習と先駆的だった指導法

松本暁司氏が今月2日に亡くなった。「鬼」と呼ばれるほど厳しい練習を課し、浦和南を率いて高校サッカー人気の礎を築いた監督だった。

松本氏はスタメンだけではなく誰が出ても勝てるサッカーを目指した
松本氏はスタメンだけではなく誰が出ても勝てるサッカーを目指した

高校サッカー人気の礎を築いた松本暁司氏、“赤き血のイレブン”浦和南を率いて高校3冠を達成

「日本一の練習をしなければ、そのための強い精神は養えない」――松本暁司(元浦和南高校サッカー部監督)

 松本暁司氏が今月2日に亡くなった。「鬼」と呼ばれるほど厳しい練習を課し、浦和南を率いて高校サッカー人気の礎を築いた監督だった。

「日本一の練習をしなければ、そのための強い精神力は養えない」

 この言葉を発し続けたのは、1968年夏のインターハイで初戦敗退を喫した後のことだった。敗戦の翌朝には開催地の広島を発ち、そのままスタメンの選手たちに控えメンバーの前で土下座をさせると、そのまま夏合宿に突入した。

 その後「日本」を「世界」に置き換えて使う指導者が続出し、スポーツと根性を合わせた「スポ根アニメ」が人気を集める。実はこのインターハイは、やがて『赤き血のイレブン』の主人公のサンプルとなる永井良和氏(元日本代表)を新入生として迎えた大会だった。永井氏には、当時浦和南が日本一厳しい練習をしていた確信があったという。

「ユース代表などで他の学校がどんな練習をしているのか聞いてみましたが、明らかにウチが一番厳しかった。まだ水を飲んではいけない時代で、夏のインターバルトレーニングの時などは、ユニフォームの胸を引きちぎるように苦しがっている選手もいて、死んじゃうんじゃないの、などと話しながら続けていました」

 1964年東京五輪で金メダルを獲得し「東洋の魔女」と呼ばれた女子バレーボールを筆頭に、レスリング、マラソンなど、日本では労働と同じく、スポーツのトレーニングも量を競う発想が定着してきた。

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加部 究

1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近、選手主体のボトムアップ方式で部活に取り組む堀越高校サッカー部のノンフィクション『毎日の部活が高校生活一番の宝物』(竹書房)を上梓。『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(いずれもカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。

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