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「文句を言ったら泣き出した」 外国人GKが30年前の日本で感じたミスを指摘しない習慣

ハーフナー・ディドが初めて来日してから、もう30年以上が経過した。今ではマツダ(現・サンフレッチェ広島)でプレーしていた頃に生まれた長男マイクのほうが有名になったが、エールディビジ(オランダ1部リーグ)で6シーズンもプレーしてきたGKが、1986年に日本のアマチュアリーグに参戦したのだ。その格差を考えても画期的なことだった。

ディドが技術以上にギャップを感じたのは、ミスを看過して指摘し合わない習慣だった【写真:Getty Images】
ディドが技術以上にギャップを感じたのは、ミスを看過して指摘し合わない習慣だった【写真:Getty Images】

アマチュア時代の日本サッカーを知るGKディド「メンタリティーはGKにとってテクニック以上に大切」

「メンタリティーというのは、ゴールキーパーにとってテクニック以上に大切なものです。ポジティブな文句は、どんどん言い合ってチームが良くなればいい。でも僕が文句を言ったら泣き出してしまったDFがいた」――ハーフナー・ディド(元マツダ、名古屋グランパスエイトほか)

 ハーフナー・ディドが初めて来日してから、もう30年以上が経過した。今ではマツダ(現・サンフレッチェ広島)でプレーしていた頃に生まれた長男マイクのほうが有名になったが、エールディビジ(オランダ1部リーグ)で6シーズンもプレーしてきたGKが、1986年に日本のアマチュアリーグに参戦したのだ。その格差を考えても画期的なことだった。

「マツダでヘッドコーチを務めていたオフト(ハンス・オフト/後の日本代表監督)に誘われたんだ。『ディド、外国でプレーしたいだろう?』と聞かれたので、『もちろんだよ』と答えました。でも外国と言われてイメージしたのは、ドイツやイングランド。日本と言われた時は思わず『何?』と聞き返してしまったよ。日本に関する知識なんてゼロで、サッカーをやっていることも知らなかった」

 当時マツダの監督という肩書きだった今西和男からは「もうすぐ日本でもプロができる」と説明された。しかし実際にプロリーグが創設されるまでは8年間を要し、1年契約で来日したディドは名古屋グランパスエイト(当時)でJリーグの開幕を迎えた。

「まだ日本のGKのレベルは本当に低かった。キャッチをする時に頭が下を向いていたし、ハイボールは頭の後ろで取っていた。これではジャンプした時に、他の選手が見えないから、自分の身体をプロテクトすることができない。セービングする瞬間にも、軸足が地面から離れていた」

 だがディドが、技術以上にギャップを感じたのは、ミスを看過して指摘し合わない習慣だった。

「メンタリティーというのは、GKにとってテクニック以上に大切なものです。1回ミスをしても切り替えられる強さ。それがないと優れた選手にはなれません。ところが日本のGKは、ミスをするといつまでも『ア~ア』と俯いていた。またミスをした味方に文句を言うこともない。もちろんネガティブな文句はいけない。でも『バックパスが弱過ぎる』とか、ポジティブな文句はどんどん言うべき」

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加部 究

1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近、選手主体のボトムアップ方式で部活に取り組む堀越高校サッカー部のノンフィクション『毎日の部活が高校生活一番の宝物』(竹書房)を上梓。『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(いずれもカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。

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