奥寺康彦と長谷部誠をつなぐ称賛 独名将を魅了した「1人で3人分」の万能性
万能ぶり発揮した奥寺に指揮官も全幅の信頼
ヘルタでの1シーズンを経て、81年にオットー・レーハーゲル監督率いるヴェルダー・ブレーメンに移籍。再びドイツ1部の舞台に戻ると、「左右のウィングバックが中心だったけれど、センターフォワードやセンターバックも務める」(奥寺)万能ぶりを発揮し、指揮官からも全幅の信頼を寄せられるようになる。
当時のドイツでは、まだマンマークの発想が染みついていたから、なかなかゾーンの考え方を理解できる選手が少なかった。
「守備ではスイスチーズ(ところどころ穴が空いている)のようになってはいけない」
レーハーゲル監督の指示を完璧に実践するのが奥寺で、だからこそ指揮官は「オクがいれば3人分」という冒頭の言葉を発するのだ。
フランクフルト時代に監督として長谷部誠を指導したトーマス・シャーフは、現役時代はブレーメンで奥寺とチームメイトだった。