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Jリーグ監督として味わった“苦い経験” キャリア10年、名将の言葉に見た成長のヒント

シメオネと30分会話、肌で感じた人間力

――鳥栖時代にアトレティコ・マドリードと対戦していますが、ディエゴ・シメオネという強烈なリーダーとも対話したとか?

「プレシーズンで対戦したんですが、その時に通訳に入ってもらい、膝を突き合わせて30分間、いろいろな話を聞けました。シメオネは全然知らない日本人のため、身を乗り出すようにしてくれて。目がめちゃくちゃ綺麗なええ人で、人間力というか。どんな瞬間も無駄にしていない、すごく人を大事にしているな、と思いました」

――UEFAチャンピオンズリーグでも5-5-0のような布陣を組むなど、サッカーも独自です。

「その時に感じたのも、極論の人だな、ということでした。アトレティコの監督に最初になった時は大変だったらしく、『なんて選手に声をかけたんですか?』って質問したら、『俺は「攻めるな」と言った』って。言われた選手たちがそれを遂行するのも彼のメンタリティで。当時は点を取れていたけど、失点も多く、中途半端だったから、『攻めるな』って伝えたらしいです。極端ではありますが……」

――有無を言わせぬ統率力ですね。

「自分も33歳まで現役をやらせてもらったけど、選手時代に培ったメンタリティはしょぼくて。シメオネやグアルディオラのような人たちは、選手時代にとっくに積み重ねてきたものがあるんでしょう。自分より早い段階で気づいたから、今の器も大きい」

――指導者として求める真理とは?

「今は人を残していきたい。偉そうかもしれないけど、関わった1人でも幸せになれるように。その先に自分の道が漠然とある。夢とか目標はない。10、20年後、関わった選手に『僕は幸せに生きています』と言ってもらえるように」

(小宮 良之 / Yoshiyuki Komiya)

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森下仁志


1972年生まれ、和歌山県出身。現役時代は帝京高、順天堂大を経て95年にガンバ大阪に加入。コンサドーレ札幌、ジュビロ磐田と渡り歩き、J1通算202試合9得点、J2通算37試合1得点の成績を残した。2005年の現役引退後は指導者の道へ進み、12年に磐田監督に就任。京都サンガF.C.、サガン鳥栖、ザスパクサツ群馬の監督を経て、19年に古巣G大阪U-23監督となり、昨年からユースを率いている。中村敬斗(現LASKリンツ)や食野亮太郎(現エストリル・プライア)らの才能を引き出すなど、若手の指導に定評がある。

小宮 良之

1972年生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。トリノ五輪、ドイツW杯を現地取材後、2006年から日本に拠点を移す。アスリートと心を通わすインタビューに定評があり、『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など多くの著書がある。2018年に『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家としてもデビュー。少年少女の熱い生き方を描き、重松清氏の賞賛を受けた。2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を上梓。

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