ドイツのサッカー大会で見た自然体の光景 「障害を抱えた子供」が仲間と決めたゴール
互いに理解し合い、互いに認め合える環境が生まれれば…
でも僕が特に素晴らしいなと思ったのは、彼のことを他の仲間が特別なものとは捉えていないことだった。「障害を抱えた子供」としてではなく、他と変わらない仲間の一人として自然に扱われている。必要以上の手助けも、必要以上の誇張もしない。
大事な仲間の一つのゴールだった。
彼らにとってはそれが日常だからだ。仲間の一人として受け入れ、当たり前の存在としてチームメイトとしてサッカーに取り組む。そして彼も自分から逃げずに、チームのためにプレーする。
サッカーの持つ素晴らしさを改めて感じさせられた。
日本でCPサッカー(脳性麻痺サッカー)と交流がある僕は、少なからず麻痺を持ったままプレーする環境の難しさを知っている。なかなか受け入れ先クラブを見つけられず、とはいえCPサッカーのクラブ数は多くはないので、サッカーをするためには遠くまで通わざるをえないこともある。みんなサッカーが好きだから文句を言ったりしないが、少しずつでも互いに理解し合い、互いに認め合える環境が生まれてくれば、お互いもっともっと生きやすくなるはずだ。そうなってほしいと思う。
スポーツには、それを当たり前にできるだけの力があるのだから。
(中野 吉之伴 / Kichinosuke Nakano)