柔道界の“最強の寝技師”が誕生した理由 地方の劣等感を排除し、伸ばした恩師の執念
交わした師弟の約束「鹿児島にメダルを持って帰る」の後に…
コロナ禍での1年延期も前向きに捉えていた。浜田が試合をするはずだった2020年の7月30日、吉村氏は「今日は五輪の日ですね。1年後だけど、尚里らしく頑張れよ」とメッセージを送ると、浜田は「すごくいい準備期間です」と返した。そして今年6月、吉村氏は五輪に向けたまな弟子の決意を受け取った。
「五輪前には鹿児島には帰れそうにないですが、終わったときにはメダルを持って帰れるように頑張ります」。この言葉の後には、絵文字がついていた。
「金メダルとは書いてないですけど、メダルの絵文字は、金メダルみたいなのがくっついていました。こういうところも私はあえて触れないようにしているんですね。なぜ金メダルって書かないのかなって思ったりもするし、それをこっちが言ったらあまりよくないかなとか。だけど、メダルっていう言葉の後には、これはどうみても金メダルだなっていうようなメダルの絵は載っていました。かわいい子なんですよ」
小学校から大学まで鹿児島の柔道選手だった吉村氏。自身に影響を与えた恩師はいたのか。
「小学校の少年団は強かったんですけど、中学高校は『そこって柔道部あるの?』というようなところだったんです。そこで、素晴らしい恩師との出会いがあって、柔道部があるかないか分からないところが鹿児島で団体戦で中学も高校も優勝したんです。レベルは違うんですけど、鹿児島の地方でも、鹿児島の中でも田舎のところでも、そして初心者が集まったようなチームでも、鹿児島で一番になれるっていうのは私の中で自信でした」
鹿児島から日本一、そして世界の頂点へ。浜田の金メダルの裏にあった師弟の物語。鹿児島の柔道史に新たな1ページが刻まれた。
(THE ANSWER編集部)