「県立高校で埼玉のはずれ」から五輪金メダル 新井千鶴の恩師がハンデを覆した工夫とは
高校卒業後に三井住友海上入り「大学を出てからでは遅いかもしれない」
練習は男女一緒。新井の乱取りの相手は女子ではなく、男子をあてた。「60~80キロの子が結構いた」といい、格好の相手となった。「練習が終わってからも納得がいかない部分があると納得いくまで練習したり、研究したりしていましたね」と柏又監督は日々、居残り練習で努力する新井の姿を覚えている。
さらに新井の体重を増やすために、親に協力をあおいで食事のサポートをお願いした。部活ではプロテインやビタミン剤を補給させ、たんぱく質や炭水化物、糖質の適切な摂取の仕方など栄養学を教えて助言した。中学3年のとき、52キロ級だった新井は高校入学後、1年ごとに階級を上げ、高校3年で70キロ級に転向。メキメキと力をつけ、全国高校総体(インターハイ)に初出場初優勝の快挙を達成した。
体重が増えてくると、柏又監督は個別トレーニングで強化した。100キロを超える師との乱取りも、新井は楽しそうにやっていたという。「私がいじめられていた感じです」。地方の県立高校でも、できることはすべて取り組んだ。引け目はなく、「強豪の学校と遜色ない練習はしていたつもり」と回顧する。
新井は勉強の成績もよく、「ウチの学校では常にトップでした」と3年間学年トップをキープした。「柔道だけではなくて勉強も恥ずかしくないようにやりたい」と、柏又監督に伝えていた。高校卒業後は大学進学も選択肢にあった。三井住友海上からスカウトの声がかかったとき、新井は「びっくりして硬直状態」。悩んだ末に、最後は「大学を出てからでは遅いかもしれない」と決断した。決め手になったのは、新井自身の気持ち。新井は世界で闘いたいという大きな夢を抱いていた。
児玉高校では現在も、練習メニューは生徒が決めている。キャプテンと副キャプテンが毎日、柏又監督に練習メニューを持ってくる。生徒との対話の中で何が足りないのか考えさせ、その目的に添って、指導者が必要なところをサポートするという姿勢だ。
自身の指導法について、「自信はないですよ。いつも試行錯誤しています」という柏又監督だが、児玉高校で地力をしっかりとつけた新井は世界に羽ばたき、東京五輪の金メダルを奪取した。
(THE ANSWER編集部)