負けるたびに強くなった阿部詩 決して「悲劇のヒロイン」気取らせなかった恩師の信念
求めた勉強と柔道の両立「勉強に努力ができない者は柔道にも努力はできない」
同じ方向を向くために、部内の環境作りにも気を配った。
詩が高校2年時には、中高合わせて19人の部員中、強化選手が6人もいた。そのため、詩を特別扱いをしたことはなく、自然と意識の高い練習ができる環境が整っていった。
「この子だったら五輪に出てもいい、才能を持っているよねっていう子はいますけど、高校や中学校の考え方一つで代表になれないとか、そういうことは十分あると思います。1人だけ意識が高くても、周りの意識が低いと楽なほうに流されちゃう。やっぱりあの集団だからこそ、阿部詩は伸びたと思います」
最強の軍団を作り上げるために、脱落しそうな生徒をフォローすることもあった。
「意識が低い子に対して放っておいたりしたら、なんでこの子に怒らないの? みたいなある意味、嫉妬じゃないけど、そういうのがある。女の子は特にそう。指導者としてはそういうところは激励していく。そういうふうに、意識の高い集団を作り上げていく」と力を込めた。
柔道だけではなく、勉強との両立も促した。学生アスリートは、練習時間を増やせば、その分、勉強時間が削られがちだ。しかし、夙川学院では、生徒の将来も考え、勉強もおそろかにしなかった。
それは、ともに詩の指導にあたった松本純一郎監督(現・佐久長聖高校柔道部監督)の教えでもあった。
「松本先生がよく言っていました。『バカでも勉強しなさい。最悪、成績は取れなくてもいい。『勉強はしなければいけないものだ』ということをちゃんと理解して、努力して努力して努力した結果、成績が取れないのは仕方ない。けれども、勉強に努力ができない者は柔道にも努力はできない。だから最終的には柔道に勝つために勉強しなさい』と」
道着を脱いでからの人生のほうがはるかに長い。詩は高校時代に世界選手権を制する一方で、クラスでは優等生だった。海外遠征からテストの1週間前に帰ってくると、その1週間で課題を覚え、平均点以上の成績を取っていた。テスト前には、柔道の練習時間を減らし、柔道部全員で勉強することもあった。垣田氏は「私たちもその部屋で、一緒に仕事していました。勉強しなければダメだよっていう環境を作っていたと思います」と回顧した。