「天才」の阿部一二三は「天才肌じゃない」 強豪校出身じゃなくても世界で勝てたワケ
「設備的にも環境的にも強豪校ではなかった」神港学園を選んだ一二三
中学2年、3年で全国チャンピオンになり、進路を決めるときだった。
信川氏は一二三に言った。「別に神港学園を選ばなくていいよっていう話はしとったんですよ。自分が見て、もっといいところがあるんやったら行ったらええしっていう話はしました」。神港学園は高校柔道界では決してトップクラスではなかった。「設備的にも環境的にもよく言う強豪校みたいな学校ではなかった」。ここまで指導してきたとはいえ、まな弟子の将来を考えれば、無理強いはできなかった。
しかし、一二三は神港を選んだ。「やっぱり神港学園でやってきたことが間違いなかった、日本一にもなれたしっていうことで、本人は神港学園でやり続けたいと言って、ウチに来たんです」。信川氏は決断を喜ぶ一方で、日本の柔道界を担うスター候補生をどう育成すればいいか、という課題にも直面した。
練習は工夫をこらした。まずは対戦相手。学校の練習だけではなく、外部に出向き、出稽古で大学生や社会人に胸を借りた。
「どんだけこの子のためにできるかいうことで、警察へ行ったり、一般企業行ったり、大学に行ったりという形で、いろいろな形で練習を回らしてもらいました」
さらに日々の学校での練習環境も整えた。高校2年の11月、実業団のトップ選手が集まる講道館杯を史上最年少で制覇。その後から大きな大会の前は“阿部シフト”と呼ばれる特別な体制を整えた。
「道場が狭かったもので、(部員が)40人おったもので、なかなかのびのびとすることができなかった。『阿部シフト』いうて、阿部のために道場を空けたり、ほかの生徒を見学に回して阿部を中心に練習させたりっていうようなこともしましたね。野球で言うやないですか。打球が飛んでくるほうに守備を寄せる。そういうふうな感じで、阿部のためにちょっとみんなに理解してもらって、環境作りしました」