「天才」の阿部一二三は「天才肌じゃない」 強豪校出身じゃなくても世界で勝てたワケ
信川氏が語る一二三「天才肌ってみんな言うけど、天才肌ではない」
一二三は高校生の枠を超えて、国際大会や日本代表を争う上位大会に出場。「普段の練習はそんなことしないんですけど、主要な大会が迫ってきたときには、いろんな意味で阿部中心で。減量がきつかったら夏はストーブたいて窓閉めて練習するとか、そんな感じでいろいろやったんです」。他の部員の協力もあり、一二三もそれを理解しながら、懸命に練習に打ち込んだ。
神港学園になじめば、メリットは多かった。地元の学校に通ったため、両親のサポートを十分に受けることができた。減量前は母・愛さんがささみを用意するなど、食事も考えられたメニューで、何の心配もいらなかった。一二三を教えてきた別の恩師からは「ほかからいい条件を出されても、神港に出した。それは親の一番の偉業じゃないかなと思います」との声も聞かれるほど、充実した生活を送った。
卒業式のとき、一二三は言った。
「先生、お世話になりました。今後もどんどん試合は続いていくけど、東京五輪という大きな節目がある。そこではなんとか金メダル取って、そのメダルを先生の首にかけます」
2017、18年の世界選手権を連覇。そのとき一二三は金メダルを信川氏の首にかけようとしたが、信川氏は「楽しみは後に置いておくわ」と断った。
そして、東京五輪前の7月19日、一二三は信川氏とのLINEで力強く約束した。「無観客なんで、そっちに応援行かれへんけども」とメッセージを送った恩師に、一二三は「先生、金メダル取って、先生の首に絶対かけますから!」と宣言した。
周囲の柔道関係者は一二三のことを“天才”と称する。しかし、信川氏の見方は異なる。
「柔道はある意味、どこでやったとしても本人のやる気だけやと思う。本人がどれだけ目標を持って、そこに向かって、一生懸命努力してやるか。阿部は『努力に勝る天才なし』っていう言葉が好きで、よく言うんですけど、本当にあの子はそう。天才肌ってみんな言うんですけど、天才肌ではないと思うんですね。本当に一生懸命、本人なりに努力してコツコツ積み上げてきたものが爆発しているというだけなんです」
強豪校じゃないからと言って諦めることはない。地元で過ごした一二三の青春時代がそれを証明している。
(THE ANSWER編集部)