偉大な父と比べられる君へ 「金メダリストの息子」と言われた体操・塚原直也の助言
体操の04年アテネ五輪団体金メダリストの塚原直也さんがこのほど「THE ANSWER」のインタビューに応じ、スポーツ界における「2世選手の指導問題」について体験談を語った。
「○○2世」と言われる子の重圧、「日本初の五輪親子金メダリスト」となった体験談
体操の04年アテネ五輪団体金メダリストの塚原直也さんがこのほど「THE ANSWER」のインタビューに応じ、スポーツ界における「2世選手の指導問題」について体験談を語った。
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高い競技実績を誇る元選手を父に持ち、重圧を背負いながら競技をしている子供は少なくない。父に五輪3大会で5つの金メダルを獲得した光男さんを持つ塚原さんは、幼少期から「塚原2世」という好奇の目に晒されながら才能を開花させ、親子2代で五輪金メダル獲得という快挙を成し遂げた。
プレッシャーに負けず、結果を出すことができた理由は何だったのか。現在は3児の父として「3世代で金メダリスト」という可能性を持つ子供に対する思いとともに明かした。
◇ ◇ ◇
塚原さんは父との関係において、日本スポーツ界にある金字塔を打ち立てている。
「日本初のオリンピック親子金メダリスト」
光男さんは68年メキシコ五輪で団体総合、72年ミュンヘン五輪と76年モントリオール五輪は団体総合と鉄棒で、計5つの金メダルを獲得。鉄棒の「月面宙返り(ムーンサルト)」、跳馬の「ツカハラ跳び」という新技を成功させ、体操界に名を残した偉人の一人。塚原さんは父が最後に金メダルを獲得してから28年後の04年アテネ五輪団体総合で父と同じ表彰台の真ん中に立った。
親子で五輪金メダルという快挙を果たしたが、スポーツ界における「2世選手」はいつの時代もデリケートだ。父が著名なアスリート、そうでなくても元甲子園球児、インターハイ日本一経験者など、競技実績があれば、父は自分と同じような成功の期待を求めがちになり、一方で、子供はそれぞれのチーム、コミュニティで「あの〇〇の息子」という見られ方をすることもあるだろう。
当然、メリットがあれば、デメリットもある。しかし、「五輪金メダリスト」の下に生まれた塚原さんは、偉大な父を持つことについて「本当に良かったと思っています」という。その理由は、どこにあったのか。
「基本的に、父は僕に期待をかけていませんでした。それがわざとだったのかは分かりませんが、こちらが『頑張らなきゃいけない』という雰囲気はなく、良い具合に力の抜けた接し方をしてくれたので。自分は体操を追求することができました」
父が子に期待しすぎず、成功体験を押し付けない。塚原さんにとってはありがたいことだった。体操を始めたのは10歳の時。トップを目指す選手は、幼少期から英才教育を受けることが一般的な競技において、遅い方だった。それは、父からの強制ではなく、自分の意思で「やりたい」と思ったのが、そのタイミングだったから。ただ、やる以上は難しさがあったことも事実だ。
「2世選手」が乗り越えなければならない壁は、周囲の目だろう。「視線は凄く感じていました」と塚原さん。練習場にいても、大会に出ても「あの塚原の……」という声を嫌でも耳にした。「それどころか、実際に『金メダリストの息子さんですよね』ってガッツリ言われることもあったくらいなので。その面に関してのプレッシャーは確かにありました」と打ち明ける。