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ドイツで気鋭の青年監督が現れる理由 年齢も実績も関係なし…日本の指導者養成との違い

ブンデスリーガで指導経験を持つ鈴木良平は、ドイツの強さを支えるのは「常に現実を直視し、これで良いのか、と反省と検証を忘れない姿勢」だと言う。

現在はライプツィヒを率いているユリアン・ナーゲルスマン(右)【写真:Getty Images】
現在はライプツィヒを率いているユリアン・ナーゲルスマン(右)【写真:Getty Images】

【“ドイツS級コーチ”鈴木良平の指導論|第4回】ナーゲルスマン、テデスコら20~30代の指導者が台頭

 ブンデスリーガで指導経験を持つ鈴木良平は、ドイツの強さを支えるのは「常に現実を直視し、これで良いのか、と反省と検証を忘れない姿勢」だと言う。

 例えば1996年にはEURO(欧州選手権)で優勝したが、DFB(ドイツサッカー連盟)内には「クオリティーを闘う姿勢などでカバーしたもの」と危機感が広がっていたという。そして現実に4年後の同大会で敗退すると、フランツ・ベッケンバウアーを筆頭に同国サッカー界の中枢が集結。徹底した議論を行い、大胆な育成改革に着手した。

 その成果が2014年ブラジル・ワールドカップ(W杯)での、若いメンバーでの優勝で結実したのだが、さらに最近では気鋭の指導者が次々に頭角を現している。こうした流れを見ても、日本の実情との落差は確実に広がっているように見える。

 ドイツが指導者養成制度の確立に向けて動き出したのは、第二次世界大戦を終えて間もない頃だった。実際にドイツでS級ライセンスを取得した鈴木が解説してくれた。

「1954年のスイスW杯で西ドイツを優勝に導いたゼップ・ヘルベルガーが、その5年前にはケルン体育大学で養成講座を創設しました。彼は3人の後継者を指名。代表監督はヘルムト・シェーン(74年西ドイツW杯優勝)に引き継ぎ、デットマール・クラマーには海外への指導を命じ、養成コースの責任者はヘネス・バイスバイラーに託しました。バイスバイラーは監督を務めながら、指導者育成にも尽力したわけです」

 やがてドイツでは、プロから6歳の子供を教える指導者までが全員資格を取得する仕組みが整った。最高のS級ともなると濃密な内容が詰め込まれ、鈴木が受講した際には30人中27人が合格。卒業の際には、当時の講座責任者のゲロ・ビーザンツが、こんな挨拶をしたという。

「すでに私のもとには世界中からオファーが届いているので、希望者は言ってくれ」

 それほどドイツのS級取得者は高く評価されていた。こうした長い歴史を経て、現在では次々に20~30歳代の才能が輩出されている。

「32歳でシャルケの監督に就任したドメニコ・テデスコはS級コースを首席で卒業。その時に2番目の成績だったのが、史上最年少の28歳でブンデスリーガの監督を務め、現在はライプツィヒを率いているユリアン・ナーゲルスマンでした。テデスコはプレー経験がなく、ナーゲルスマンは20歳で引退しています。しかし選手としての実績がなく若くても、良いものは良いと評価する気風がドイツにはある」

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加部 究

1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近、選手主体のボトムアップ方式で部活に取り組む堀越高校サッカー部のノンフィクション『毎日の部活が高校生活一番の宝物』(竹書房)を上梓。『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(いずれもカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。

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