[THE ANSWER] スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト

「目指せ、国立!」 松井大輔が「恐ろしい記憶しかない」高校サッカーを頑張れたワケ

3年次の高校サッカー選手権で準優勝。「最後の最後に報われた感じ」と松井は胸を張った【写真:小倉元司】
3年次の高校サッカー選手権で準優勝。「最後の最後に報われた感じ」と松井は胸を張った【写真:小倉元司】

今なお「アテネ会」で当時のメンバーと集まる松井「20年経っても…」

「当時から高校サッカー選手権大会は年末年始にテレビで放送されていて、僕はその世界に憧れて鹿実(鹿児島実業)に進学しました。プロになってからの目標がW杯であるように、高校生にとっての目標は冬の選手権です。夏のインターハイに出場して好成績を収めても、冬の選手権に出られなかったら意味がない。そんな空気感すら漂っていました。とにかく選手権で国立を目指すことしか考えていなかったし、そういった明確な目標が高校サッカーに優秀な選手を集めていた理由なのかもしれません」

 最近でこそJクラブのユース出身選手の勢いに圧され気味の高体連だが、当時は高校サッカー全盛期の時代。ユース選手と各地方のトレセンで顔を合わせる機会でも、どちらかといえば高校サッカー優位に構図ができ上がっていた。

「部活とJクラブの育成組織の優劣を決めるのは難しい。でも少なくとも僕の時代の部活は上下関係が厳しくて、我慢と忍耐だけで3年間を過ごしました(苦笑)。そういった点で打たれ強く、精神的に強い選手が多かったかもしれない。社会に出てからも理不尽なことに耐える力が養われている分、辛抱強く仕事と向き合える部分はあると思います」

 松井の高校サッカー選手権は、3年次に準優勝というフィナーレを迎えた。ようやく国立競技場でプレーする夢が叶い、決勝で市立船橋に敗れたものの「最後は良いイメージで高校サッカーを終われました。苦しいことしかなかった3年間が、最後の最後に報われた感じ」と胸を張る。

アテネ五輪で躍動する松井。共闘した仲間たちとは未だに思い出話に花を咲かせる関係だ【写真:Getty Images】
アテネ五輪で躍動する松井。共闘した仲間たちとは未だに思い出話に花を咲かせる関係だ【写真:Getty Images】

 当時のライバルたちの多くがプロとなり、アンダー世代の代表を経由して2004年のアテネ五輪で共闘した。38歳になった松井は現在も第一線で活躍するJリーガーだが、切磋琢磨した同級生たちとは定期的に顔を合せるという。

「アテネ世代の選手たちと集まる『アテネ会』を開催して、みんなでワイワイと食事をしています。さすがに引退した選手も増えてきたけど、この前は決勝で戦った市船(市立船橋)の選手もいて、盛り上がると当時の話になるんですよ。僕は負けた側なので、だんだん悔しくなってくるんですけど(苦笑)。20年経ってもそういう思い出話ができるのは本当に楽しい」

 高校サッカーの歴史を彩った松井自身が、誰よりも高校サッカーの虜となって目を輝かせていた。

○松井大輔、新著「サッカー・J2論」発売

 松井の新著「サッカー・J2論」(ワニブックス刊)が12月10日に発売された。試合間隔の短さと移動距離の長さから「世界一過酷なリーグ」とも言われるJ2。「プロなのに練習グラウンドがない」「ユニフォーム交換は自腹」など、環境面で発展途上なところも多い。「ミドルシュート は打たせてもいい!?」など、戦術もJ1と違ってくる。こんなJ2の知られざる裏側、選手の頑張りを、13年ぶりにJ1昇格を決めた横浜FCの元日本代表・松井が初めて語り尽くした。

(藤井雅彦 / Masahiko Fujii)

1 2
W-ANS ACADEMY
ポカリスエット ゼリー|ポカリスエット公式サイト|大塚製薬
DAZN
ABEMA Jleague
スマートコーチは、専門コーチとネットでつながり、動画の送りあいで上達を目指す新しい形のオンラインレッスンプラットフォーム
THE ANSWER的「国際女性ウィーク」
N-FADP
#青春のアザーカット
One Rugby関連記事へ
THE ANSWER 取材記者・WEBアシスタント募集