「本気で野球やるなら他大学目指すので」 虚しい本音から…40年目で初全国、実った部の意識改革――杏林大野球部
高校・大学野球の秋の日本一を決める明治神宮大会(神宮)は14日から6日間、熱戦が繰り広げられた。大学の部で初出場した杏林大(関東5連盟第1)は15日の初戦・2回戦で名城大(北陸・東海3連盟)に延長10回タイブレークの末、2-3で敗れた。創部40年で辿り着いた全国の舞台裏には知られざる苦悩の日々があった。野球部長を34年間務め、部の歩みを知る内藤高雄さんが明かした。(取材・文=THE ANSWER編集部・山野邊 佳穂)

部の歩みを知る内藤高雄部長が語る杏林大野球部
高校・大学野球の秋の日本一を決める明治神宮大会(神宮)は14日から6日間、熱戦が繰り広げられた。大学の部で初出場した杏林大(関東5連盟第1)は15日の初戦・2回戦で名城大(北陸・東海3連盟)に延長10回タイブレークの末、2-3で敗れた。創部40年で辿り着いた全国の舞台裏には知られざる苦悩の日々があった。野球部長を34年間務め、部の歩みを知る内藤高雄さんが明かした。(取材・文=THE ANSWER編集部・山野邊 佳穂)
「今日は一生懸命やってきたご褒美。いつも通りの野球を、監督から教わった野球を学生たちが思い切りやってくれたらそれでいい」
試合前。全国デビューを前に、内藤部長は目を細めた。
先手を取ったのは杏林大だった。6回、井土駿太外野手(3年)の2点二塁打で先制。しかし、8回に1点を返され、9回は2死三塁から同点とされた。延長10回、1死満塁から高桑京士郎外野手(1年)に打たれ、サヨナラで終戦。「あと1死」から全国1勝がすり抜け、涙を流すナイン。それでも最後まで粘り強く戦った姿に、観客からは万感の拍手が送られた。
創部40年で辿り着いた全国の舞台。東京新大学リーグで2部だった1992年、部長に就任した内藤部長は「学生の意識改革が一番大変だった」とその歴史を振り返る。
当初の部員は1学年5、6人程度。ベンチ入りメンバーも埋まらない状態だった。「1部昇格を目標にしていたけど、『本当に1部に上がるつもりがあるのかな』という感じだった」。1998年春に1部初昇格を果たすも、学生たちの意識は今ひとつ。以降、何度かの降格と昇格を繰り返し、1部に定着した時期も優勝には届かない。
「本気で野球をやるなら、他の大学を目指しますから」
15年ほど前、選手から漏れた言葉は今でも覚えている。
本気になれない言い訳にも似た本音。「分からなくはないけど、こっちは必死な思いで彼らを呼んでいるのに……という気持ちはあった」と虚しい胸の内を明かす。
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